「PiPiPiPiPiPiPiPi……」
翌朝、目覚まし時計の音で新一が布団から起き上がる。普段通りの朝だった。
ただ普段通りでは無いのは、この家に『守護天使』と名乗る女性がいる事であろう。
ところが、一階に降りた新一が客間を見ると、そこに敷いてあった布団はなく、当然『守護天使・白鷺のサキ』と名乗っていた女性もいなくなっていた。
(何だ、昨日のアレは夢だったのか……でもおかしな夢だよな。昔助けたダイサギが、当時の梨香さんと瓜二つの姿をした『守護天使』なんて物になって恩返しに来るなんてな)
やや落胆気味の新一が、朝食を作ろうとキッチンのドアを開けた時、仰天した。
「おはようございます。ご主人様」
にこやかで穏やかなサキの声と、テーブルに並べられた二人分の食事が新一を迎えたのである。
「こ、これは……」
食事の内容は、御飯・ワカメの味噌汁に鮭の塩焼・生卵にお新香という新一好みの和風なメニューだった。
「ご主人様にはちゃんとした朝食を採って頂きたいと思いまして、冷蔵庫の物を使わせて頂きました。あ……もしかして……余計なお世話……でしたか?」
突然不安げな表情になって恐る恐る尋ねたサキに対し、新一は慌てて否定する。
「い、いや、夢じゃなかったんだな……って、そう思って。それに久しぶりなんだ。朝起きると朝食ができている……っていうのが」
「ご主人様……」
「ああ、そんな顔しない。確かに今までは寂しかったけれど、これからはサキがいてくれるしね」
その言葉にサキの顔がぱっと明るくなる。
「もったいないお言葉です、ご主人様……あ、あの……」
「ん? 何だい?」
「これからも、ずっと一緒に居て……良いです……か?」
「当たり前だろう? こちらからお願いしたいくらいだよ。これからも一緒に居てくれって。さあ、食事にしようか」
その新一の言葉に、サキは満面の笑顔で答える。
「はい、ご主人様!」
仕事に出掛ける新一を見送ったサキは、顔が綻ぶのを抑える事が出来なかった。
それはそうだろう。毎日夢にまで見た愛しいご主人様の元にようやく転生できたのだから。
そして、サキが初めてご主人様の為に作った食事、それをとても喜んでくれた。
朝食の味を褒めてもらった時、サキは天にも昇る気持ちであった。
実際、サキの料理の腕は確かだった。
会社に出掛けようとした新一を三つ指をつけて送り出そうとした時は、さすがに「やり過ぎだ」と窘められたが……
あと、意外な所に弱点を持っていた。
ある日の夜、新一とTVドラマを見ていた時だった。
そのドラマは人間界での話題を作る為に見ていたのだが……ヒロインが銃で撃たれる、というシーンでサキは大きく取り乱し、大泣きしながら新一に抱き付いたのである。
気丈なサキが、まるで幼子のように……
新一は、サキの前世の死因である銃器類と銃声が強烈なトラウマとなって、心に刻み込まれている事を初めて知ったのであった。
十数分後、テレビは既に消されていたのに、未だに新一に抱きついていたサキは恥ずかしそうに語る。
「申し訳ありません、私のトラウマのせいで……ご主人様にご迷惑をお掛けして……」
「いや、迷惑なんかじゃないさ。でも意外だったな。あそこまで取り乱すなんて……」
「は、はい、予め分かっていれば、ある程度は平気なのですが……あのドラマは、なんの前兆もなく突然でしたから……それで私が前世で撃たれた瞬間が思い出されて……」
しんみりしてしまった二人の間の気まずい雰囲気を何とかしようと、新一は動揺を隠すようにサキに『ある飲み物』を渡す。
「サキ、これでも飲んで落ち着いてくれ」
こちらも動揺していたサキは、それを一気に飲み干す。
……と、サキの頬がほんのり桜色に染まる。
そして、瞳がとろんとなる。
新一の顔が思わず引きつった。
サキに抱き付かれた事で動揺していた新一は、烏龍茶と間違えてビールを渡してしまったのである。
ぽー、となったサキを見て、新一は大いに慌てた。
「す、すまないサキ! ……サキ? ひょっとして、もう酔ったのか?」
だが、その問いに対するサキの反応に、新一は思わず仰け反ってしまった。
「だ~いじょーぶ、じぇ~んじぇん、よってにゃいれすよ~」
「サキは酒に弱いのか……まいったな……未成年に飲酒をさせてしまうとは……」
と、精神的衝撃から立ち直っていない新一の目前で、突然サキは服を脱ごうとする。
「あついれすね~」
ぐらつきそうになる理性を必死に抑えながら、サキを止めにかかる。
「ま、待て、こんな所で脱ぐんじゃない!」
「ご主人さまぁ、私ってそんにゃに魅力がにゃいれすかぁ?」
「い、いや、そういう訳じゃ……」
涙目と上目遣いで、頬を朱に染めて迫って来たサキに対し、しどろもどろになりながら答える新一。
「やっぱり……やっぱり、私にゃんて……うう、どうせ、どうせ私は可愛くにゃい大女れすよ~~ご主人さまぁ……う、う、うわ~~ん!!」
サキはいじけたかと思うと、泣きながら新一に抱きついて来たのだ。
新一は物凄い力で抱き締められ、悲鳴を上げる暇も無く気絶する。
「あれー? ご主人さま~? もう寝ちゃったんれすか~? 起きてくらさいよ~」
サキは、新一の体を前後に揺する。もちろん、気絶している新一は起きるはずはない。
「むう……つまんにゃいの~私も寝る~お休みにゃさ~い」
翌日……幸いな事に今は夏であり、風邪をひく心配は少なかった。
また、新一はこの日は休日だった。
昼近くになってようやく目を覚ました新一は、体が痛くて目が覚めた。
自分が居間で寝ていた事を訝しむ。
だが、自分の隣で幸せそうな表情で眠っているサキを見て、昨晩の騒ぎを思い出す。
知らずのうちに、冷や汗が背筋を伝う。
意を決してサキを起こしに掛かる。
「おい、サキ、朝……じゃなくて、もう昼だぞ。起きろ。」
「ううん……あ、あれ……私、何でこんな所に……? うっ……」
「ど、どうした、サキ?」
「ううっ、気持ち悪い、頭が痛い、体がだるい……一体何があったのですか……?
ご主人様に何か飲み物を渡された事までは覚えているのですが……」
そのサキの言葉を聞いた新一は、一挙に体の力が抜ける。
そして新一の口から出たのは脱力気味の言葉であった。
「サキ……世の中には知らない方が幸せな事もあるんだよ……」
二日酔いのサキは、頭を押さえたまま不思議そうな顔で、しみじみと語る新一を見るだけだった。
この日の悶着があって(サキは記憶が飛んでいたが)新一は自宅には酒を持ち込まない事を決意していた。
さすがに、最後の抱きつきが利いた。
数日、全身の痛みが抜けなかったのだ。
(作者注:お酒は二十歳以上になってから!!)