咄嗟に体を捻って転がったオラクルであったが、左胸から左腕にかけてを斬られていた。
致命傷は避けられたが、その痛みに対し唸り声を上げて大きく顔を顰める。オラクルは後方から策を巡らすタイプであった為、戦闘に不慣れであったのだ。よって、肉体的な痛みに対し経験が少なく、耐性が低かった。
「バ、バカな……確かに手応えが……!! お前の精神を支配したはず……!!」
サキはその言葉に反応せず、黙ってオラクルから奪った剣に目を落し、囁くような声で語る。
「……『ロスト・セラフィ』……『失墜した聖天使』か……今の私に……相応しい銘ね……」
そんなサキを凝視していたオラクルは、何かに思い当たったようだ。
苦しげな息をしながらも、はっとしたように叫んだ。
「……そうか!! そのサークレットだな!! 何処ぞのお節介な夢魔が……余計な事を!!」
「……ご明察……」
サキは顔を上げる。その瞳は、知性の輝きが灯った戦士の瞳であった。先程の輝きを失った瞳が嘘のような……
だが、実際は一瞬であっても心を支配されていたのだ。それが、オラクルの感じていた手応えの正体であった。それだけ、オラクルの精神支配の能力が強かったという事だ。
封冠を作成した夢魔の技術者の計算すら上回るオラクルの魔力であった。無論、それを本人に丁寧に教える理由は、一欠たりとも存在しなかったのであるが。
「く、こんな所で!!」
オラクルは忌々しげに叫ぶと、テレポートを試みる。このテレポートで毎回天界からの追跡者を振り切って逃走していたのだ。
だが、傷の痛みが精神集中の邪魔をしていたのか、テレポートの発動直前に、サキは鞘を差したままの奪った剣で、オラクルの左腹部を殴打する。サキが切った傷の部分だ。オラクルは大きく後方に吹き飛ばされて立ち木に叩き付けられた。
「……あなたには……感謝してるわ……この力を……会得させてくれた事を……でも……私の想いを……土足で踏み躙った……オラクル……あなたを……赦さない……決して……」
「くっ!!」
声を荒げるでも無い、むしろ淡々とした、何の感情も交えないサキの口調に、オラクルは転生して初めて、心の底からの恐怖を感じていた。オラクルは再度テレポートで逃げようと試みるも、精神を集中させた刹那にも満たない隙を付かれ、サキの蹴りを左脇腹に食らう。
「ぐぁぁぁぁ!!」
テレポートが事実上封じられてしまったのは、サキに斬られた傷の痛みから、精神集中を集中させるのが遅くなってしまったからであった。オラクルは、逃げ足が速く身体的な痛みに対する耐性が少なかった。だから、サキに内懐まで入り込まれると弱かったのだ。もっとも、サキはそんなオラクルに容赦をする心算は毛頭無かったのであるが。
吹き飛ばされ倒れて呻くオラクルを黙って見下ろす。相変わらず、その表情から感情を読み取るのは困難であった。
オラクルから奪った剣、『ロスト・セラフィ』を鞘から抜き、右手で持つ。逆手に持って構えると、そのままオラクルの左胸を突き刺す。
「ぐぅぉぉぉぉぉぉ!!」
断末魔の悲鳴を上げるオラクルの口から鮮血が溢れ出す。左胸に剣を突き刺したまま、左手に持った官給品の剣をオラクルの首を突き通す。剣は延髄を切り裂いて後頭部から飛び出る。オラクルの体は、二度三度跳ねるように痙攣し、そのまま動かなくなる。そして次第に光の粒となって消えて行った。
何の感情も表に出さずに、消えて行くオラクルを眺めていたサキだったが、極小さな声でオラクルのいた場所に向かって語りかけた。もし、その言葉を聞く事が出来た者がいたとすれば、サキの底知れない悲しみと怒りの一端でも察する事が出来たであろう。
「……あなたに……救いなど必要ない……」
ただ……最も近くに居たレインとその主人にさえ、サキの声は届かなかった訳であるが。
オラクルの消えた空間を様々な想いを込めて見据えていたサキに、レインの主人が駆け寄る。そして険しい口調で詰問する。
「お、おい、あんた、サキ、とか言ったな。クラウドは……どうしたんだ!?」
「……転生の環に還ったわ……」
「そ……そんな!」
その意味を主人よりいち早く理解したレインは、両手で顔を覆ってそのまま泣き崩れる。
そんなレインを無視するかのように、サキは、傲然と言っても良い態度で言い放つ。
「……アオサギのクラウド……彼は死んだわ……主に刃を向けた咎によって……」
「そんな……どうして? どうしてそんな事を言うのよぉ!? あの優しかったサキさんは、どこに行ってしまったの!? ……教えてよぉ……うっ、ぅぅ」
レインは、大きなショックを受けていた。あの信頼し、尊敬さえていた先輩がこんな別人のように変貌してしまった事を。その敬愛していた先輩が、弟を何の躊躇いもなく手にかけてしまった事を……。
「何故……何故……クラウドを助けてやれなかったんだ!?」
「……堕天前に駆けつける事が出来なかった……これは私達の落ち度……」
「そうか……そうか!! あんたのせいで!!」
サキの言葉に、レインが止める間も無く、青年は腕を大きく振り上げると、サキの頬に拳を叩き込む。
……が、その寸前で何者かに二の腕を掴まれた。拳がサキの頬に到達する直前……髪の毛程の距離で。