死の先に在るモノ

第7話「復讐者」(アヴェンジャー)≪後編≫

>3年と6ヶ月程前、サキの初任務・再現

深夜……闇に包まれた神社の境内の離れ。明かりは神社の本殿に数本ある街灯から僅かに届く光、そして月明かりのみであった。
そこには、3つの人影があった。
一つの人影に向かい、寄り添った二つの……成人男性と少女のような人影が何か盛んに、心配そうに言葉をかけていた。
俯いたまま、黙ってその言葉を聞いていた、と思われた者は、突然に獣のような咆哮を上げる。
そして、驚き立ち竦んだ二人の側に、一瞬で移動すると、両腕が鋭く弧を描くよう閃く。

「ああっ!!」

二人が、つい数秒前まで居た場所を薙ぎ払っていた。
咄嗟に少女は男性に飛び付き、抱き抱えて転がるようにその攻撃から逃れた。人影……デッドエンジェルの手から……
倒された青年を守るように、自ら下になっていた少女が、気遣わしげに声をかける。

「ご、ご主人様……大丈夫……ですか?」
「レイン! 僕は大丈夫……!? レイン!! レインの方こそ怪我をしているじゃないか!!」

先程の攻撃から主人を庇った時に出来たと見られる、鋭利な刃物で切られたような五筋の切り傷が、レインと呼ばれている守護天使の二の腕に刻まれていた。
そんな二人を見下ろしながら、その傷を作り出した張本人……一人の少年が薄笑いを浮かべ、倒れた二人にゆっくり迫ってくる。
既にその目は正気を失ったような狂気の光に包まれ、その背中には深紅の羽が広がっている。さらに、彼の手から伸びた爪は研ぎ澄まされた刃物のように鋭く尖り、手の皮膚は猛禽の足のような有様になっていた。その爪が、レインの腕を傷つけた刃物の正体であった。

「クラウド!! もうやめるんだ! 僕と……レインの、お前の姉さんの事が分からないのか?!」
「くっくっくっ、麗しい愛情ですねぇ……」

クラウドと呼ばれた少年の背後から、金髪の男性が現れる。まるで闇の中から湧き出てくるように……
闇と一体化したような気配をまとわり付かせたその男……涼しげな目元・中性的な造形とも相まって、『モデルのような美形』と呼んで差し支えない程の容姿だった。だが、その瞳は冷酷・怜悧な色を湛え、恐怖と怒り・悲しみの眼差しで見上げる『レイン』と青年とを、嘲りの表情で見下ろしていた。

「お、お前は何が目的なんだ?! レインとクラウドを唆し……」
「わたしはね、愛なんて物が大嫌いなんですよ。特に守護天使と人間の愛情なんて物がね。簡単でしたよ。このクラウドという守護天使に、『姉とあなたの間に特別な感情が芽生えているのではないか?』……なんて疑念を植えつけるのは。それはそれは見物でしたよ。愛しい姉、尊敬すべき主人……いずれあなた達から除け者に、邪魔者扱いされるのではないか……そんな下らない事で苦しむ有様は!!」
「そ、そんな……私のせいで……クラウドがそんなに苦しんでいたなんて……」
「悲しむ事はありませんよ。彼は苦しみから永遠に解放されたのです。全てを、憎しみと殺意・破壊衝動に昇華させる事によって!」
「そんな事をして何になる! 何故そんなに僕達を憎むんだ!?」
「……あなた達が、わたしの崇高な使命を知る必要などありません。さあ、おしゃべりはここまでです。……クラウド、さっさと殺ってしまって下さい。暗示にかからなかった守護天使など、ゴミ以下です」

男……呪詛悪魔はそう言い捨てると、レインとその主人に興味を失ったかのように背を向ける。
折り重なるように倒れた二人にクラウドは歩み寄る。主人の青年は慕ってくれていた者の変貌を、レインは実の弟の苦しみを見抜けなかったショックで起き上がれない。
その鋭い爪が振り下ろされようとした瞬間……二人はきつく抱き合い、死を覚悟して思い切り目を瞑る。
だが、その次の瞬間、クラウドの口から、身の毛もよだつような断末魔の悲鳴が響き渡る。

「何!?」

呪詛悪魔の男は、慌てて振り返ったその目が驚愕に見開かれる。
クラウドの左胸から剣が生えていたのだ。
断末魔の悲鳴を上げながら、次第に光の粒となっていくクラウド。
倒れているレインと彼女の主人、二人をその手にかけようとしたクラウドとの間に一人の女性が割って入っていた。その女性の手にした剣が、クラウドの左胸を貫いていたのだ。
レインは二重・三重の意味で驚いた。弟のクラウドが突然消滅してしまった事、そして愛する弟を消滅させて自分とご主人様を守ってくれた女性が、自分がよく知っている者だったから。だが、その女性はレインが知っている、かつての彼女とは全くの別人のように変貌していた。
さらに、黒幕の呪詛悪魔、彼も驚愕していた。それは彼女と面識がある驚き方であったが。

「お、お前は!! ……そうか……生きて、しかも追跡者になっていたか……久しぶりだな、サキ」
「………………ようやく……見つけた……オラクル……」





その作戦は、従事する者が少ない割には、いや、少ないからこそ徹底していた。
この作戦は、オラクルに散々翻弄され続けていた特務機関フェンリルの威信を賭けた作戦であった。
さすがに今まで数十人もの守護天使と、その主人に犠牲者が出ている為、風当たりが強くなっていたのだ。
今までの行動パターンから、奴が……オラクルがどのような行動にでるか、予測する事は不可能ではなかった。ただ、不確定要素が多すぎ、その作戦の確実性には常に疑問符が投げ掛けられていた。それが変化したのは、『白鷺のサキ』が、オラクルの洗脳を受けながらも復天した事からだった。それによって、オラクルの行動についての貴重な生きたサンプルがもたらされ、計画は一気に進んだ。

今までネックになっていたのは、奴の気配察知能力の高さである。
生粋の守護天使だと、どうしても奴に、『オラクル』に感付かれて逃走を許してしまう。
しかし、一旦奴の暗示に掛かった者であれば、奴に気が付かれずに接近する事が可能……少なくとも理論上は。
しかし、一旦堕天した者であれば、再度奴の前に出る事で、再度心を支配されてしまう危険性が高い。
で、あるからして、その危険性を最小限に留める為、サキの封冠は彼女の為だけに製作された特別製の物と交換されたのである。今までのは、サキの為に調整されてはいたが、それは従来品の枠内で、だった。
その特注封冠の完成とサキの訓練の完了が同じ時期だったのである。
サキの訓練スケジュールは、全てこれに合わせて動いていたのだ。セリーナが時間が無いと漏らしたのも、これの事だったのだ。

この作戦の第一陣は、サキ・レオン組であるが、仮に逃がしたとしても、全力を挙げた追跡が出来る体制を整えていた。
だが、問題が無かった訳ではない。出来れば暗殺任務部隊をもっと多く揃えたかったのであるが、オラクルだけに戦力を傾斜する訳にはいかない。……との理由から、当初実戦部隊は2部隊(SILENともう一組)のみであった。これでは流石に少な過ぎる、という事で、セリーナは消去・暗殺任務部隊を4以上回すように上層部と掛け合った。だが、結局は1部隊の増備に留まり……計3部隊になった。無論、上層部にも言い訳はある。いくらオラクルが危険で悪辣だと言っても、他の作戦に従事中の天使達まで刈り出す訳にはいかない。さらに不測の事態の為の予備戦力を、最低限は温存しておかなくてはならない。数ばかり揃えても、その数の多さが仇となって事前に察知され、先手を打たれて翻弄されてしまう。……このような懸念は、故無き事ではなかった。だから、セリーナも強硬に増援を要求する事が出来なかったのである。さらに、高性能の封冠の数を揃えられなかった事(ミイラ取りがミイラになる危険性が高い)が最大の理由であろう。

そのような理由から、防諜は徹底していた。参加する全ての部隊の全員が、封冠のテレパシー通話機能の送信機能をカットしていた。勿論、精神防御の水準を最高レベルにカスタマイズしていた事は、言うまでも無い。
そして、準備万端整えて待機する事数日、探知要員がオラクルの気配を察知したのである。その時の波動が、レインとクラウドを洗脳しようとした時の波動であった。
予てからの手筈通り、サキが現場に急行したのであるが……クラウドは堕天が完了し、レインとその主人をその手にかけんとしていた。
勿論、サキも驚いていた。憎き仇、オラクルを追ってきてみれば、自分が見習い時代に可愛がっていた、かつての後輩が、その主人と共にオラクルの前にいたのだから。





二つの人影は睨み合ったまま動かない。
その緊迫した空気に圧倒され、レインとそのご主人様の青年は、身動きすら取れなかった。

「い、一体……な……何が……どうなって?!」

辛うじて上半身を起こした青年は、やっとの事で声を上げる。しかし、それ以上にレインがショックを受けていた。
主人のうろたえた声すら聞こえなかったかのように、愕然としていたレインだったが、こちらも上半身を青年に起こされると、恐る恐る……有り得ない物を見たという面持ちで言葉を発する。

「サキ……さん?」
「レイン? 知り合いなのか?」
「……はい。私がめいどの世界で修行していた時期、色々と面倒を見てくれた先輩です。……優しくて、面倒見が良くて、頭が良くて、スポーツ万能で……皆の憧れの的だった……なのに……なのに……なんで……そんな哀しい瞳を……」

青年とレインの会話は、極小さな声だったが、オラクルと対峙しているサキの耳に入っていたはずである。『堕天』の影響と、諜報部員・暗殺者としての訓練の結果、五感が大幅に増幅されていたのだから。その為、以前は聞き取る事が出来なかった小声での会話も聞こえるようになっていたのだ。だが、レインと青年の会話が全て筒抜けになっているにも関わらず、サキの顔色は全く変わらず、表情に変化は無かった。

しばらく睨み合っていたサキとオラクルであったが、オラクルは突然に不敵な笑みを浮かべると、含み笑いを漏らす。かつてサキの嫌悪感を増大させた、あの笑いだ。

「くっくっくっ、お前がわたしに逆らえると、本気で思っているのか?」
「……どういう意味……?」
「こういう事だ!! ぬん!!」

オラクルの目が怪しく光り、サキの瞳を見据える。サキはその目を直視してしまい体が硬直する。そしてサキの瞳から輝きが消える。次の瞬間、乾いた音を立てて剣が石畳の上に落ちて転がった。

「他愛も無い……わたしの逆行暗示を受ければ、一度堕ちた者など恐れるに足らん」

オラクルは満足そうに笑い、手を頭上にかざす。すると、一振りの剣が……グレートソードと呼ぶには細すぎ、ロングソードと呼ぶには長すぎる、いわゆる『バスタードソード』と呼ばれるタイプの剣が出現していた。
オラクルは、その剣の鞘の部分を掴みサキ向けて声を張り上げる。

「さあサキよ、わたしに跪いて忠誠を誓え。そしてこの剣を受け取るがいい……冥府の闇の炎によって鍛えられし宝剣……『ロスト・セラフィ』を!!」

サキはそのまま木偶のように膝を折り、頭を垂れる。

「そ、そんな……サキさんまで……そんな……」

レインは絶望の面持ちで声を上げる。だがサキは、その言葉すら聞こえないかのように、跪いたまま動かない。
その姿に満足したオラクルはサキに剣を差し出す。サキは恭しく受け取る。
……と思いきや、サキはその剣を目にも止まらぬ速さで掴むと、思い切り引き寄せる。不意を突かれたオラクルはバランスを崩し、つんのめるように、サキに向かって倒れ込む。
そこに、サキが拾い上げた剣の剣先が待っていた。


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