この日以来、俺は時間が許す限り、サキの訓練に立ち会った。
いや、最早それは訓練・特訓なんて言う生易しい物では無かった。一人の、今まで平和に暮していた守護天使を、『暗殺者』に作り変える……無理矢理に特務機関員としての型に叩き込むという、見ていて寒気すら感じさせる程の凄まじい物だった。並みの者であれば、早々に発狂してもおかしくは無い……そんな訓練にサキは、決して音を上げる事は勿論、弱音・泣き言すら言わなかった。
ひょっとしたら、俺が見ていた事で、俺の存在がサキの精神的な助けになっていたのかもしれない……そうであればありがたいのだが、いくらなんでもそれは自惚れ過ぎという物だろう。
担当官とはいえ、本来はそこまでする必要はなかったのかもしれないが。
だが、俺はサキの為になる事に手抜きはしたくなかった。例えそれが自己満足だったとしても。
彼女との『付かず離れずの距離』を保ったまま、彼女を見守っていた。その距離感が難しかった。離れすぎれば失望させてしまうし、くっ付き過ぎれば、馴れ馴れしいと思われてしまう。特に後者は重要だった。サキの経験した、未遂とはいえ強姦を受けた、その心の傷は男の俺が思っている以上に深いはずだ。それ以上に新一を殺してしまったという事の方が、より深いトラウマとなっているので目立たないだけだ。俺が必要以上に接近して、強姦未遂の心の傷を思い出させないように留意しなければ、パートナー候補失格という物だ。そして、どうやら、それは成功していたようだ。
俺はサキからアドバイスを求められた時は、なるべく丁寧に答えた。そして、見栄を張ったり、頭ごなしにサキの意見を否定する事は。決してしなかった。勿論、聞かれても無い事をしゃべるような真似もな。
俺が被っていた『お調子者』の仮面、それが思わぬ所で役に立った。『相手にとって都合の良い人格を演じる能力』が身に付けられたという意味でな。
『サキにとっての良き相談役』……これが俺に与えられた新たな『仮面』という訳だ。だが、以前の『復讐心を隠すお調子者の仮面』と違い、これは俺が『自分の心を偽る』のではない、本心に近い物だった。もっとも、それを『仮面』とは言わないかもしれんが。
そのかいあってか……俺とサキの『互いを傷付け合わない、ちょうど良い心の距離』がほぼ同じであったのか……少しずつではあるが、サキとの間に信頼感らしき物が育まれていった。まだまだ小さな物だったが。それでも、いわゆる『ヤマアラシのジレンマ』を経験せずに済んだ事は、慶賀すべき事だったのは間違いないな。サキにとっても、俺にとっても。
実際、サキの成長は目覚しい物があった。まさしく、『乾いた砂が水を吸収する』ようにセリーナが叩き込んだ剣術を会得していった。
訓練を開始してから半年後、セリーナはサキと手合わせしても10本中4本しか取れなくなっていた。セリーナ自身で予測したように、いや、それ以上にサキの上達が早かったんだ。この現実は、セリーナがサキに教える事は無い……という状態になった事を、訓練の修了を意味していた。セリーナが未だに勝る部分がある理由としては、やはり実戦経験の差だろうな。
この訓練の修了を以って、サキの『特務機関フェンリル』の隊員としての初仕事に就く事となる。それは初めての任務としては十分過ぎる程、荷が重い物であった
一方、昇級試験に無事合格した俺は、十級神へと昇級した。そしてサキをサポートする資格を得た。そして、セリーナと俺の教官である『レディ・サラ』の推薦もあって、見事にサキのパートナーという立場になったのだが……それを告げられた当日、俺は荒れた。
今から冷静になって考えて見れば、至極もっともな事だったのであるが。
サキのサポートというのは、表向きだった。無論サポートも任務に入ってはいるが、それは従の任務だったんだ。主任務とは……
『サキを監視し、その言動を報告する。さらに、堕天の兆しが見えた時は速やかに始末する』なんてのが、俺の隠された任務だった。これを告げられた時、俺は迷い悩んだ。しかし、結局俺はその条件を全て受け入れざるを得なかった。
今更、他の奴らにサキを任せる気にはなれない、というのも確かにあった。それに、もし堕天の兆しが見えた時、他の奴では無理でも俺であればサキに自分自身を取り戻させる事ができる……自惚れかもしれないが、そう自負していたしな。
また、めっきり人間関係に臆病になってしまったサキが、唯一と言っても良いくらい、自発的に言葉を交わしてくれるのは、今は俺しかいなかった。
サキを堕天なんかさせない……俺がサキを護る、と決意していた。ここにチーム『SILEN』が誕生した。名称の正式な登録は、まだ先だったが。
ただ……初任務は、俺はサキの側には居られなかったんだ。無論、俺は何時でもサポートできるようにテレポートの準備を整えていたし、さらに万一失敗した時の為に追跡させる手筈を整えさせていた。
ただ、テレパシー通話は傍受される危険性が高いので、使用禁止であった。この当時は、封冠通話はまだ実用に耐え得るレベルではなかったからな。まあ、こちらも敵のテレパシー通話を傍受していたから、条件は互角だが。
そんな訳で、俺はその時に現場には居なかった。だからサキの初任務の部分は、後に報告書を作成する為の調査や、幾つかの資料と証言を元に、判明した事を再現した描写になる。