>6年前
俺はいつもの様に日本の『電気街』と呼ばれている街で情報収集をしていた。ここなら金髪の俺が街頭でテレビを見たり、ネットカフェにいても大して違和感がない。
このような仕事をするようになってからもう4年が経っていた。
もちろん、復讐心は忘れてはいなかった。だが、こんな仕事も良いかな……と心の何処かで思っている俺がいた。
それを自覚するようになってから、俺は怖くなった。いつかご主人様の事を……ご主人様への想いを……忘れてしまうのではないか……って。
今思えば、周囲だけでなく自分にさえ嘘をつくようになっていったんだ。
『それ』は何の前触れもなく俺の目に飛び込んで来た。あるニュースサイトで俺の故郷、ラグリア国の事が取り上げられていたんだ。
それによると「A国が本格的に軍事介入に乗り出しラグリア最大の麻薬組織を壊滅させた」……とあった。
死亡が確認された幹部には、例の裏切り者やご主人様やカルロスを殺した奴らの名前も確認できた。
『魔薬』……さすがにあんな物が出て来てはA国も本格介入をせざる得なかっただろう。……この時はここまで気が回らなかったが。
俺はしばらく茫然自失としていた。復讐心のみを心の拠り所にしていた俺にとって、これは存在意義・存在価値の消失とでもいうべき事態だった。
俺は信じられなかった。いや、俺の手の届かない場所で勝手に決着の付くのが我慢ならなかった、というのが正解かな? 他のメディアも手当り次第にチェックしたが、次第に入り始めた情報は、ネットの物と大差無く、しかも不正確かつ曖昧、さらに少量のみであった。
そして……ここでこうしていても埒があかないと判断した俺は、居ても立ってもいられずに仕事を無断で抜け出すと南米ラグリア国にテレポートで飛んでいた。後先の事を全く考えずに……
俺は小高い丘の上から首都の街を見下ろしていた。
街は復興の槌音が聞こえ、また出会った人々の顔も希望に満ちていた。
俺はそれを複雑な気分で……いや、気力を失った瞳でぼんやりと眺めていた。
この国に飛んで、もう3日。俺が得た諜報員としての技術の全てを使い……情報を収集した。
結果は、日本のニュース番組やネットの情報を裏付け、補完するだけに終わった。
概要はこうだ。
国民の多数に支持を取り付ける事に唯一成功した「将軍」と呼ばれる男に指揮される組織とA国の同盟軍が麻薬組織を徹底的に殲滅した……
対する麻薬組織のほうは「将軍」派の切り崩し工作に有効な手立てが打てなかった。
細かい理由は幾つかある。将軍派の工作が巧みだった事もあるが、最大の理由は「魔薬」だった。生成中に僅かに外部に漏れた成分が、奴等を麻薬中毒にしていた。
最初の兆候は鳩だった。伝書鳩達が狂ったように暴れ回り、バタバタと死んでいった。ハリーもこの時に死んだのだろう。
そして、しばらくして兵士の中から中毒者が出始めた。だが強欲で蒙昧な幹部共が惨状を認識した時は、全てが手遅れだった。戦闘中に錯乱して同士討ちをする兵士が多発していた。
この期を逃さず、「将軍」派は一斉に攻勢に出た。そして数ヶ月に及ぶ追撃戦・掃討戦の末、なんと指導者連中の大半を生かしたまま捕らえた。「魔薬」のデータはA国が「禁断の麻薬」として厳重に管理する、現物はA国の担当官と「将軍」直々の立会いの元(サンプルを除き)全て廃棄する、という形で決着したらしい。
これらの事を文字通り全力で調べ上げた。
ある時は官憲に追われ、ある時はならず者達とさえ協力した。
だが情報を手に入れ知ったことは、奴等……裏切り者と麻薬組織の幹部は全員、既に戦死したり公開処刑された後、という事だけだった。
皮肉な物だ。奴等が血眼になって追い求め、様々な代償を支払って手に入れた『魔薬』が結果として自らの引導を渡す事になろうとはな……
結局……俺のしてきた事って何だったのだろう……
ご主人様をお護りする事もできず、仇を討つ事もできず……仕事も無断欠勤してしまった。
どのくらいの時間物思いに耽っていたかは、わからない。
そんな中で、次第に復讐の虚しさに気付き始めていた。
仮に復讐に成功したとしよう。その後は? 大人しく裁きを受けるか? デッドエンジェルとなって逃走者としての道を選ぶか? 混乱した俺にはどうするべきか、わからなかった。
俺の居場所は、もうどこにも無いのか……?
そんなやりきれない想いを抱きながらも、一旦日本に戻ろうと振り返った。
そこに……セリーナが立っていた。
「気は済んだかしら?」
セリーナは腕を組み、穏やかな微笑みを浮かべ、俺を見ていた。
思えばこの時、ずいぶんと間が抜けたような顔をしていただろうな。
だが俺は心底から驚いていた。
セリーナがここにいた事もそうだが……殺気が無かったとはいえ完全に背後を取られ、それに長時間気が付かなかった事を……
「……いつから、そこにいた?」
俺は何とかその声を絞り出した。
「2時間くらい前かしらね。ああ、仕事の事なら大丈夫よ。ここ3日間は大きな事件も無かったし。上にはあなたの休暇届を出しておいたからね」
驚きだった。セリーナにはお見通しだったって訳だ。
「恩に着るぜ……」
「気にしないでいいわよ。あなたとわたくしの仲じゃないの。それにわたくしも似たようなもんだし……」
「え? 似たような??」
「単なる独り言よ。そんな事を詮索するものではないわ」
セリーナの言った事は気になっていたが、次の台詞で現実に引き戻される。
「そうそう、レオン。あなたがここで行った工作で幾分か揉み消し工作が必要になった部分とかもあるわ。そこであなたのこの国での情報収集に関する報告書と始末書、火急速やかに全て提出する事」
この言葉に俺は「うっ」と詰まった。
だが物は考え様だ。ここまで引っ掻き回した事により現地の担当局に相当な迷惑をかけた事は疑い無い。
それこそ越権行為で懲戒処分であっても文句は言えない。
それを「火急速やかに全て」という条件付きではあっても、俺の収集した情報を差し出すだけで無罪放免にしてくれるのだから。少し自惚れても良いのなら、俺の情報と情報収集能力を買ってくれたって事だな。
今回の件での報告書と始末書、これを片付けてしまうと、後に残ったのは、どうにもならない喪失感だけだった。仕事にのめり込めば少しは満たされるのか、とも思った。
しかしいくら仕事にのめり込んでも、ふとした瞬間に訪れる喪失感から逃れる事はできなかった。
いつしか、俺は機械的に最低限の任務をこなすだけになっていた。
セリーナは本気で心配してくれていたが……今までのようには行かなかった。
心の中で大きなウエイトを占めていた『復讐』の文字……それが俺の存在意義そのものだった。
それが永久に失われ……心の空白を埋める術を俺は知る事ができなかった。
復讐に変わる物は……今だに見出せずにいたんだ。