死の先に在るモノ

第7話「復讐者」(アヴェンジャー)≪前編≫

ふと、サキの感覚が戻る。
そこは相変わらず、ヤクザの事務所の中であった。
状況は先程と変わらず、サキは後ろ手に縛られたままソファーに転がされていた。
サキの意識が暗転してから数秒も経っていないようだった。
ただ、サキの中には獰猛な『何か』が息づいていた。
それが解き放たれるのを待ち侘びていた。
夢か現かはっきりしない意識の中、倒れている新一の頭に足を乗せているヤクザを見て、サキの頭に血が昇り、急速に覚醒していく。激しい憎しみと共に……

(よくも……よくもご主人様を!!)

松本議員がサキの服のボタンに手をかける。
そしてヤクザの一人がサキの服の袖口を切り裂き、もう一人が注射器を彼女の二の腕に宛がう。
その行為が引き金になり……

(……こいつら……許さない……ゆるさナ・イ……ユ・ル・サ・ナ・イ……)

……サキの感情が爆発した。
サキの意識は激しい怒り・憎悪に……美鈴と新一を殺したヤクザ達に、そして無力な自分自身に対し……負一色の感情に彩られる。
そしてその心は赤く灼熱した感情と共に弾けた。
松本議員とヤクザ達は、人の形をした災厄という名の魔王を……ネメシス(復讐の女神)を、解き放ってしまったのだ。

幾つかの事柄が同時に起きた。
サキの手刀が議員の左胸を貫き、血に染まった手が松本議員の背中から飛び出していた。
その時の風圧のような物でサキを押さえつけていたヤクザ達は吹き飛ばされる。
サキを縛っていた縄が床に落ちる。
細くて丈夫なはずのその縄はサキの怪力によって引き千切られていた。
サキの背中に展開された純白の羽が、次第に緋色に……血の色に染まって行く……議員の体から流れ出た血を吸っていくかのように……
サキはゆっくりと手を引き抜くと、議員はサキに圧し掛かるように倒れ込む。
既に議員は驚愕の表情を貼り付けたまま、左胸と口から血を吹き出して絶命していた。

圧し掛かるように倒れこんだ議員を……かつて議員と呼ばれていた死体の頚部を掴んだまま、サキは左手で無造作とも言える動作で、大理石製の応接テーブルを投げ付ける。
それは狙いあやまたずに、起き上がろうとしていた橋本という男の頭を直撃した。
ヤクザ達は咄嗟に起き上がろうとするが、本能的な恐怖にだろうか……一瞬、凍りついたように動かなくなる。
この時、ヤクザ達は脳漿を撒き散らしながら倒れる橋本を見る余裕は無かった。
怒りのオーラを背負ったサキの背には大きな羽が広がっていた。
昨日に新一と美鈴に見せた、美しさと神々しさを兼ね備えた純白の羽ではない。
美しさの中にも禍々しい気配を漂わせた緋色の羽であった。
さらにサキの瞳は見る者全てに恐怖感・圧迫感を与えるような、恨み・憎しみ・怒り・破壊衝動といった狂おしい感情に支配されていた。
この時、サキはこの世の誰よりも危険な存在であった。
ヤクザどもは、ようやくそれに気が付いたのだ。もっとも、それは遅きに失したのだが。

「こ、このヤロウ!!」
林が恐怖心を振り切るかのように、短刀を握り締めてサキに突進していく。
そして、力を込めて体当たりするように突き刺した。
林は確かな手応えを感じた。だが、サキは林を一瞥すると、薄く笑う。
見ると、林の短刀は議員の体に深々と突き刺さっていた。
この時になって、サキが議員の死体を楯にしていた事を認識した。
半ば自棄っぱちになっていた林は、サキをろくに見ずに体当たりしたのだ。
林は、サキに首を掴まれる。
サキの瞳に見えた愉快そうな感情……それが男が最後に見た物であった。

「う、うああ、うわあああああああ!!」
「こ、このバケモノめ!!」

林の首をいとも簡単に捻り潰したサキに対し、恐怖に駆られた二人は懐から拳銃を取り出し発砲する。
だが、その銃弾はサキの脇をすり抜け、背後の壁に弾痕を穿っただけで終わった。
サキが空間を歪ませていたのだ。いくら銃弾を打ち込んでも平然としているサキに対し、パニックに陥った二人は無闇やたらに引き金を引く。
そして二人の銃から撃鉄の音しか聞こえなくなる。弾切れであった。
弾を打ち尽くし、混乱して呆然としている二人の目前に、サキが出現した。
テレポートであった。
呆然としていたリーダーの井上という男と、部下の新実だったが、井上は咄嗟に間一髪でサキの『とてつもなく重い』蹴りを避け、机の下に隠れる。
だが、部下の新実は井上程の技量と幸運に恵まれなかった。
サキは井上に蹴りが避けられたと見るや、標的を新実に変更し、顔を掴む。
万力のように締め付けるサキの手を引き剥がそうと必死にもがく新実。
サキの右手が鎌首をもたげるように動き、手刀となって新実の喉元に叩き込まれた。
喉元が切られ、そこから血が溢れ出す。さらに気管も切られて空気が漏れ出していた。
呼吸が出来ずに喉を笛のように鳴らしながらもがく新実に興味を失い、隠れて何処かに電話をしている井上に向かってゆっくり歩を進める。

「早く一階に来い! 全員すぐにだ!! とんでもないバケモノが……」

突然、井上の周囲が明るくなった。
サキが井上の隠れていた机を持ち上げたのだ。
7・80kgはありそうなスチール製の机を軽々と……
机の上に置かれていた物と引き出しが次々に滑り落ちていく。
恐怖と驚愕のあまり顔面蒼白になって絶句する井上。

「あ、あ、あああ……」

サキはその机を逆さにすると、力任せに思い切り振り下ろした。

「ああーーーーー!!」

何かが潰れる嫌な音がして、拉げる机。
ひっくり返った机の下から覗く血まみれの手足……それは、既に物言わぬ肉塊と化していた。

サキは、しばらく何の感情も見せずに井上の死体を見下ろしていた。
そこへ突然扉が開き、ヤクザの構成員らしき7~8人の男達が入ってくる。
先程の井上の連絡を受けて来たようだ。
だが、部屋の惨状を……その惨状の中心にいる『紅い羽の生えた女・サキ』を見て悲鳴を上げる。
サキは新手のヤクザ達に向き直ると、凄惨な笑みを浮かべる。
まるでそれは『血に餓えた肉食獣の笑み』であった。
恐慌にかられた男達は全員、咄嗟に拳銃を抜いて構える。なまじ訓練が出来ていたばかりに、逃げ出すという選択肢を選ぶ事はできなかったのだろう。それが、彼らの命運を決した。
サキは男達が銃を構えるより早く、自分の右手を手刀にして水平に振り払う動作をした。
ヤクザ達は構わず発砲しようとしたが、その機会が訪れる事は永遠に無かった。
次の瞬間、ヤクザ達全員が不自然に揺れる。
そして、その一瞬後……全員の首が鋭利な刃物で切られたように切断され、8つの頭が床に音を立てて転がる。
数秒遅れて、頭を失った体から血飛沫が噴水のように噴出した。
あたり一面が血の色に彩られる。
彼らにとって不幸な事は(苦しまずに死ねたという意味では幸福だったが)救援に駆けつけた構成員全員の身長がほとんど同じという事だった。
そう、サキが使ったのは『時空断絶』だった。
ほんの限られた空間に『時空の断層』を作り出し、刹那にも満たない時間『ずらした』のである。
この技で切断出来ない物質は無い。気体か液体であるか、あるいは時空に対する干渉に耐性が無い限り。
当然、ただの人間ではひとたまりも無かった。

 

サキは、つまらなそうに首なしの死体8体を眺めていた。
すると、背後から笛の鳴るような音が聞こえてきた。
新実だった。喉元を切られたもののその傷は浅く、仰向けに倒れたまま呼吸困難なまま死ぬに死ねない……ある意味、死ぬよりつらい状況になっていた。
サキはまだ新見が生きているのを見ると、近くに落ちていた短刀を拾い上げる。
そして新実の傍らに跪き、短刀を新実の心臓へと振り下ろす。何の躊躇も無く……
止めを刺した後も、何度も何度も刃を死体に突き立てる。……サキの顔はさも愉快そうな笑いに……狂気の笑みに包まれていた。
それは『ネメシス(復讐の女神)の笑顔』と呼ぶに相応しい物であった。

 

「……も……もうやめ……あ?」

サキを後ろから抱き締めようとしていた者の顔が驚愕に満ちる。
何が起きたか理解出来なかった……その表情はそう物語っていた。
何かがサキの顔を濡らした。……その感触がふとサキを我に返らせる。
それが自分の手で為された事、サキは最初それを理解する事が出来なかった。
だが『力が欲しい!!』と強く願った後、サキに呼び掛けて来た『謎の声』が言った事が、次第に思い出されて来た。

(私は……一体……今まで……何を……?)

そして、自分の手の先にあった物……周囲に倒れている死体……自分が正気を失っていた間の行為を察した時……

(?? ご主人様……?? ?! ま、まさか……そんな……そんな……そ……ん……な……)

自分の手に握られた短刀が新一の左胸に突き刺さっている事……
サキの顔に、その短刀から流れ出た新一の鮮血が滴り落ちていた事を理解した時……

『……い……い……い……』

サキは……

『……いやああああああああああああああああああああああああ!!!!』

声にならない絶叫を上げ……
倒れこんできた新一の遺体を抱きかかえる。
そして、サキの羽が一際紅く輝く。

死体を傷付ける行為に夢中になっていたサキは気が付かなかったのだ。
後ろで新一が起き上がった事を。
新一は後頭部を角材で殴られて昏倒したのだが、死んだ訳ではなかった。
そして今になって息を吹き返したのだが、その彼が見た物は……復讐の女神と化したサキの姿だった。
そう、彼もサキと同様に判断力が著しく低下した状態にあった。
だから、デッドエンジェルと……復讐の女神と化したサキに不用意に近づいてしまったのである。
その新一の献身的な行為が……結果的にサキを正気に戻した。
『謎の声』が掛けた暗示が浅く、サキの心の深層までは侵していなかったからであった。
だがそれは、サキにとって何の慰めにもならない最悪の事態とタイミングであったのだが。

サキの紅く輝く羽から爆発するようにエネルギーが放出され、爆風がその部屋の中を渦巻き荒れ狂う。
まるで、サキの心のように……

次回に続く……


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