屋敷の2階……
イブニングドレスを着た妖艶な女性がじっと窓の外を見ていた。
年の頃は三十六、七くらいであろうか……長い髪を腰のあたりまで垂らしている。
物思いにふけるその切れ長な瞳は、やや複雑な光……悲しさと後ろめたさを……たたえていた。
ドアが開き、一人の恰幅の良い、それでいてたくましい、中年の男が入ってくる。
男「……ここにいたのか、テレーズ」
テレーズ「将軍……」
将軍と呼ばれた男は思わず苦笑する。
将軍「ここではその名で呼ばんでくれんか。
また明日からは、けじめを付ける為にそう呼ばなくてはならなくなるのだからな……」
テレーズは照れ笑いを浮べながら男に呼びかける。
テレーズ「解りましたわ……ご主人様」
将軍「……もうじき……お前が来てから、10年になるな……」
テレーズ「そうですわね……あの時の犬だったと思い出してくれた時の喜び……忘れる事はできません……」
話は三十数年前に遡る。首都の比較的裕福な家が集中する一角、そこへある家族が引っ越してきた。
その隣の家の主と引っ越してきた家庭の主は古い友人であった。当然、家族ぐるみの付き合いが始まった。当時は内戦と言っても、今だ首都は戦乱に巻き込まれた事は無く、比較的平穏であった。
そんな訳で、引っ越してきた家庭の(後に将軍と呼ばれる事になる)少年と隣のお姉さんとはすぐに仲良くなった。そして彼女の飼っていた犬、ヨークシャーテリアのテレーズも本当の飼い主であるかのように少年に懐いてくれた。
そんな少年にある転機が訪れたのは約半年後であった。
それまでも戦乱の絶えなかったこの国で、終戦に向けた話し合いが持たれる事になったのである。
それを知った少年とお姉さんは喜んだ。これで軍人である2人の父親が戦死する事も無くなる……そう思うのも当然であったであろう。
そして次の休日、少年の家族とお姉さん家族全員で一緒に大型デパートにショッピングに出かけたのであるが……ここで悲劇が起こった。
この時2家族はお姉さんと少年が外の公園でテレーズと共に待ち、他の者はショッピングをする予定であった。集合時間を決めて、一旦別れようとした丁度その時、デパートの入口付近で突然爆発が起こったのである。この爆発から生き残ったのは、2家族の内では少年だけだった。お姉さんとテレーズが少年をかばってくれたからであった。
和平に反対する一部勢力が同時多発的な爆弾テロを実行し、それに成功したのである。丁度、首都に滞在したいた武装勢力の有力者にも犠牲が出て、和平交渉どころではなくなってしまった。
以後、少年は軍に身を投じ、少年兵として雌伏の時を過ごす事となった。
いつか来る復讐の日の為に……
将軍「ああ、もう二度と……あんな想いを味わう訳にはいかん!
あ奴の言う追跡者とやらにも、邪魔はさせん! 決してな!!
お前と、わしの親兄弟……そしてかつてのお前の主人を……
爆弾テロなぞで殺した連中に裁きの鉄槌を下す時が来たのだ!
そして……この国を永遠に我らの物に……」
熱く語りながら部屋を歩き回っていた将軍は、テレーズの顔を真正面から見据え、両肩に手を置き……
将軍「そして、わしの横のファーストレディの席にいるのは……お前だ、テレーズ」
テレーズ「ご主人様……」
テレーズは複雑な……うれしそうな……それでいて悲しそうな顔で将軍を見つめる。
将軍「もうすぐだ……もうすぐ……」
将軍は目は熱病に冒されたかのような狂気の色が浮んでいた。
テレーズ「ご主人様、明日は早いですし……もうお休みになったほうが宜しいのでは……」
将軍「おお、そうだったな。いい加減、A国のハイエナども……
馬鹿大使館員どもに愛想を振り撒くのも疲れた。部下に任せて寝るとしようか」
将軍は部下に連絡する為に出て行った。後に残されたテレーズは伏目がちにつぶやく。
テレーズ「……ご主人様と会えて、わたしは幸せでした……でも……」
将軍の部屋を出て、廊下を歩いていると、将軍の部下や政府の役人と思われる(扮装しているので)何人かが、恭しく一礼をする。それに軽く会釈を返しながら、自室に戻ろうとする。
そこで、慇懃な絡み付くような口調で話かけてくる者がいた。
その男は、将軍の率いる武装組織がまだ小規模だった頃から武器や資金を提供してくれていた。また将軍が権力の座についてからも、いろいろと、公式・非公式を問わずに便宜を図って貰っているので、将軍やその部下達の信頼も厚い。だがテレーズはこの男が全く信用できなかった。
テレーズはこの男とは古い付き合いであるが、本名は知らないし、知ろうとも思わない。
ただ、A国大使館付き武官らしい事、またA国大使館員などが「大佐」と呼んでいたので、便宜的に「大佐」と呼ぶようにしていた。
その「大佐」はテレーズの非友好的な視線を全く意に介す無く、馴れ馴れしく話し掛けてくる。
大佐「これはご機嫌麗しゅう……」
テレーズ「わたしはたった今、最悪になりましたわ」
その刺々しい言葉にも薄ら笑いを崩さず、相変わらず馴れ馴れしく語りかける。
大佐「これはこれは、手厳しい……それはそうと、以前の件、考えてくれましたかな?」
テレーズ「あなたとA国に移住……その話はお断りしたはずですが……」
大佐「私はあなたの為を思って言っているのですぞ!
あなたはこんな所で泥まみれで這いずり回っているべきではない!」
テレーズ「何と言われようと……将軍から離れるつもりはありませんので……では……」
やや言葉を荒げて忠告する大佐に対し、テレーズは聞く耳持たない・この話題はこれで終了、言外に語っていた。
それでも叫び続ける「大佐」を無視してテレーズは自室へと向かう。
「大佐」はその背中を憤怒の表情で見送る。が、一転、哀れむような表情に変わる。
大佐「哀れな女だ……沈む船と運命を共にするか……ネズミでさえ逃げ出すというのに……」