死の先に在るモノ

第2話「教育者」(インストラクター)

翌朝。
見習い達が実際に訓練を受ける訓練所、そこには50人程の見習い達が集合し、整列している。
彼女らは興味深げな、だが値踏みするような眼で、指揮台の上に立つ一人の女性を、『白鷺のサキ』を眺めていた。そんな見習いを、サキは眼光鋭く見渡すと、おもむろに口を開く。

サキ「……はじめまして……私は白鷺のサキ……あなた達に護身術と格闘術を教授する者……」

列の後方にいた見習い達、仲良し三人組である『ヒバリのライト・金魚のハープ・ネコのマリー』が互いに顔を見合わせ合い、極小さな声で密かにささやき合う。

ライト(ねねっ、あれが新任の教官?)
ハープ(そうらしいわね)
マリー(噂によるとぉ……)

この三人、主人が同一人物であり、それ故に仲が良く、大抵は三人が一緒で行動している事が多かった。
そんな三人であるから、このような密かな会話が行われる事も、ある意味必然であろう。
だが……

サキ「……あなたたち……今の時間……無駄口は禁止されているはずよ……」

ささやき合っていた三人組の直ぐ後ろから、突然、その氷のような声は聞こえて来た。
ぎょっとして振り返った三人は、そのまま凍りつく。彼女達の目の前に、件の教官が仁王立ちしていたのだ。
突然出現した事に対する驚きと、その鋭い眼光に射竦められた事によって、三人は全く声が出せなかった。
三人だけでなく、見習い達全員が、その能力に圧倒されていた。三人の、ほんの小さなささやき声で場所を特定し、一瞬でテレポートしてきたのだから。
それは、『極めて些細な事・小さな声であっても、規律を乱す者には容赦する気は微塵も無い』という意味の意思表示であり、示威行為であったのだ。
もっともサキは、今の所は制裁を加える気はなかったようだ。見習い達が言葉を失い、完全に静まり返ったのを見ると、再度テレポートで元の場所に戻る。
サキが発するプレッシャーと、圧倒的な存在感から解放された三人の脳裏に、寸分違わぬ一つの言葉が浮かぶ。

ライト・ハープ・マリー(ううっ……なんて地獄耳……)

一方のサキは、見習い達の動揺など知った事ではない、とばかりに、見習い全員を冷ややかに見渡す。
そして、着任の挨拶もそこそこに、何の脈絡も無く、突然本題に入る。

サキ「……では……まず軽く……総員……走り込み50km……」
見習い全員『!? え〜〜〜〜〜!?!?!?』
サキ「……本当は200kmと言いたいのだけれど……」
見習い全員『!!!』

余りに無茶な物言いに、見習い達は皆、二の句が告げずに絶句していた。
驚き固まっている見習いに、サキは少々苛立ったような口調で、さらに凄まじい事を告げる。

サキ「……どうしたの……? ……何故始めないの……? ……50kmで不足なら……70km
   にしても……」

もちろんサキの言葉は脅しではなく、本気そのものであった。

見習い全員『ひぃぇぇ〜〜!!』

見習い達は、サキが言い終わらないうちに、大慌てで走り始める。
サキの言葉が脅しでなく、本気であるという事を本能的に察知していたからだ。

 

数時間後……
走り終わって、息も絶え絶えになっている見習い達を、厳しい表情で見渡し、一言で切り捨てる。

サキ「……時間がかかり過ぎね……」

無論、見習い達は、そのサキの物言いに反論したいのは山々であった。だが、今の見習い達には、呼吸を整えるのに必死であった事に加え、これ以上サキに下手な事を言って課題を追加されてしまうのを恐れ、誰も言い出す事はできなかった。
何より、『今日の訓練はこれで終わりだろう』と思い込んでいた。
何故なら、これ以上の訓練は他の稽古に差し支える。時間的にも、そろそろ次の稽古の時間になる予定だし、なにより体力が保たない。なので、今日の護身術の訓練はこれで終わりだろう。だから、終わった事に文句を言って教官の心象を悪くする必要は無い……
だがそれは、砂糖菓子に糖蜜を塗した如く甘い考えであった事が、サキの次の言葉で思い知らされた。

サキ「……次は腕立て伏せ1000回……と言いたいところだけど……」

その言葉に見習い達全員の顔が引きつる。
『次の稽古の時間になれば、少しは体を休められる』、という邪な考えは、この一言で、呆気なく粉微塵に打ち砕かれた。

サキ「……500回……」
見習い全員『げ〜〜〜!!!』

サキ「……次は腹筋1000回と言いたいけど……」
サキ「……500回……」
見習い達の三分の二『はひぃぃ〜〜』

サキ「……次は段差昇降2000回と言いたいけれど……」
サキ「……1000回……」
見習い達の約半数「あうぅぅ〜〜」

サキ「……次は………………」

この調子で、日が暮れるまで、特殊部隊並の地獄の訓練が続いた。

 

サキ「……ようやく……終わったわね……」
見習い全員『……ぅぅ……っ……ぁ……ぅ……』

既に日は落ち、照明設備が訓練場全体に煌々と光を投げ掛けている。また、訓練場の外では道路に沿って街灯が点灯し、暗い夜道をを照らしていた。
だが、実際に訓練場を使用している者達にとって、そんな事は全く関係が無い。いや、それどころではなかった。
何故なら、やっとの思いで訓練を終えた見習い達は、疲労のあまり、ある者は地面に四つん這い状態で突っ伏して激しく呼吸を整え、またある者は意識が朦朧としてグラウンドに倒れてしまっていて、既に日が暮れてしまっていた事に気付いた見習いは誰も居なかったからだ。
この時の訓練施設の光景を一言で表せば『死屍累々』という言葉がピッタリ当てはまる、そんな惨状であった。
そんな中、ただ一人直立しているサキからは、不満げな言葉が口を吐いて出ていた。

サキ「……まだまだね……しばらくは……この訓練で行くしかないわね……」
見習い全員『!?!!!?!』

明日もこの訓練が行われる事を知った見習いは、誰もが声にならない悲鳴を上げていた。いや、既に声を出す気力を残している者は誰もおらず、上がったのは微かなうめき声だけだった。
そんな見習い達に、サキは更に追い討ちをかけるように言う。

サキ「……ああ……言い忘れていたけれど……今日からしばらくの間……護身術・格闘術の訓練
    ……これに専念してもらうから……」
見習い全員『!!!!』

この時、見習い達全員の心の完全に一つになっていた。
その、声にならない叫びを聞く事のできる者がいたとするならば、
『それを最初に言え〜〜〜!!』
という絶叫が、完全にシンクロして聞こえた事だろう。
だが、サキにはその様な能力は無かった上、見習い達の状態を斟酌するつもりも無かった。物言いたげな、恨めしそうな見習い達の視線に、全く動じる事無く、止めの一言を言い放つ。

サキ「……早めに……本訓練に入れるように……して欲しいわ……」
見習い全員『!?!?!!!!』

……今日のはまだ本格的じゃなかった……それを理解した見習い達は、気が遠くなるのを感じていた。
教官の言う『本格的な訓練』という物を想像して、気絶してしまった者もいたくらいであるから。
基礎訓練でこの調子なら、本格的になれば、どんな凄まじい、いや筆舌に尽くし難い訓練……いや、それは訓練などという生易しい物ではなく、『地獄以上のしごき』が待っているのか……見習い達は皆、暗澹たる、絶望的とも言える想いに囚われていた。


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