そして日曜日、花火大会当日。
いつも早起きのみさきは、いつもよりずっと早起きをしてしまった。
「花火大会は夕方からだから、べつに早く起きる必要はないんだけど……」
と、我ながらあきれて苦笑いしてしまうが、それでもいまさら眠れるわけもなく、
家事やその他のことをしながら、長い半日を過ごした。
清水はもちろん休日なので、いつもより遅くに起きてきたが、みさきの様子を楽しげに見ていた。
しかし昼食も終わって三時ごろには、テレビの音をBGMに新聞を読んでいた清水も、
どうにも落ち着かないみさきを見かねて、苦笑しながらソファから立ち上がる。
「しょうがない、ちょっと早いけどそろそろ出かけようか」
清水のその言葉に、ライオンの耳があったらうれしさにピンと立たせてしまうような表情をしたみさきだったが、
「え? え? で、でもまだ早いですし、せっかくご主人さまお休みなんですからもっとゆっくりしなさってくださってくれればその方がわたしはうれしいですし、それに、でも……」
と、少しおかしな言葉遣いで必死で気持ちを抑えてごまかそうとする。
だが清水は苦笑したままみさきの頭を軽く撫で、うながす。
「そんなにそわそわされたら家にいても落ち着かないよ。ほら、用意してきなさい」
「でも…………………はい、わかりました!」
みさきも必死に最後の抵抗を自分自身にほどこしたが、あっさりと陥落し、
うれしさに溶ける顔で二階の自室へ走っていった。
守護天使の能力であればご主人さまの前で着替えても特に問題はないのだが、
しかしやっぱり着替えを見られるのは恥ずかしく、
自室でここ数日かけて選んだ、黄色い帯を締めた、赤地に白い百合の花を描いた浴衣に着替えて、
鏡の前でおかしなところがないか何度もチェックしてから、
小物をいろいろと入れた巾着袋を手にとって階段を早足で降りようとしたみさきだったが、
さすがにこの姿でそれははしたないと考え、ゆっくりと降りてゆく。
「ご主人さま、なんて言ってくれるかな……」
みさきは自分では浴衣のことは秘密にしているつもりだった。
だから少しドキドキしながら階段を降りてリビングへ入ったのだが、清水はそこで電話をしていた。
「ああそうか、それはすまなかった。ああ、わかった、これからすぐ行く」
そう言って受話器を置いた清水の最後の言葉がみさきを不安にさせる。
「あの……ご主人さま……」
「ああみさき、すまない、ちょっと会社に用事ができたんだ。でもすぐに終わる用だから、どこかで待ち合わせよう。そうだな、神社の鳥居の前に四時半でどうだ?」
「あ………はい…………」
「うん、それじゃあとでな」
そう言い置くと、清水は急いで部屋を飛び出て、そのままみさきを置いて出かけてしまった。
みさきはその清水になに言えず見送り、巾着を手にしたまま立ち尽くしていた。
「しょうがないよね……ご主人さま……社長さんで……偉いんだもの……いつだってお仕事ちゃんとしなくちゃ……わたしはそういうご主人さまをお助けするためにここにいるんだし……」
みさきは、夕方近くの町中を、うつむいたまま神社めざし、浴衣姿で下駄を鳴らしながら歩く。
道ゆく同じ花火大会目的の人たちとすれ違ったり並んで歩いたりすることも多く、
男女問わず、そのほとんど全員がみさきを振り返るが、もちろん彼女はそれには気づかない。
足音は「からころ」だが、見た目としては「とぼとぼ」と歩いていたので、
すいぶん時間がかかっただろうと思ったが、考えていたより早く神社に到着してしまった。
すでに夜店はすべて出ており、人も混雑とまではいかないが、かなり多い。
これから夜にかけて、にぎわいも増してゆくのだろう。
そんな中、みさきは鳥居に背をあずけようとして、帯が汚れることに気づき、あわててまっすぐに立つ。
「まだ三十分もあるのか……」
巾着の中から腕時計を出して時間を確認し、小さくため息をつく。
夜店でも見てこようかとも思ったが、ご主人さまが予定より早くやってくる可能性もあるので、それもできない。
仕方がないので人の流れを見て時間を潰そうとも考えたみさきだが、
その光景もまた、いまの彼女にため息をつかせる。
「やっぱりカップルが多いなあ……」
浴衣姿の女の子が慣れない下駄を履いて歩きにくそうにするのを、恋人が手をつないで助けている。
そんなカップルを何組も見て、みさきの心はますます鬱々となっていった。
が、突然あることに気づいた。
「………これって………デートっぽい……?」
いままでもご主人さまにどこかへ連れて行ってもらったことは何度もあるが、
それはたいてい家から一緒に出て、家まで一緒に帰ってくるので、こんな風に待ち合わせをしたことは一度もない。
今日もあのままだったら、もちろんそうだった。
そのことになんの不満もないみさきだったが、
以前から一度でいいからご主人さまと、もっとデートらしいデートをしてみたいとも考えていたのだ。
「そうかあ……これ………デートなんだあ…………!」
そうつぶやくみさきの顔は、ぱあっと明るくなり、見える光景は輝きを増し、心はうきうきと弾みはじめた。
弾む心が考えることは、もちろんご主人さまのことだけだ。
「ご主人さま、もう会社出たかな。出てからどうやってくるのかな。夜店でお酒飲むおつもりなら車じゃないよね。あ、車で来ても停めるところないか。それじゃやっぱり歩いてくるのかな。電車だよね。もしかしたらタクシーで急いで来てくれるのかな……」
そんな風にご主人さまのことを考えながら彼を待つ三十分は、
みさきにとって、恥ずかしくもうれしくて楽しい、至福の時間になった。