シリーズ『魔狼群影』  1.ネイチャー・ガール

「さて・・・」

 クリムはかたわらの少女に話しかけた。
 パーティ会場を辞したふたりはいま、ある建物の一般の者は知らないエレベーターの中にいた。向かうのは、隠された地下の最下層、フェンリル隊員専用の秘密訓練場『アムスヴェルトニール』——通称、<アビス>である。

「あなた、得物——使っている武器はなに?」

 そういうクリム自身は特殊な合成皮革製の紅い色の鞭を何重もの輪にまとめて、むき出しの形のいい片方の肩にかけている。フェンリル内部で知らぬ者とてない、彼女の代名詞とも言うべき武器であった。

「・・・あ、はい・・・」

 アズマは着物の袂のなかにいちど手を引っ込めた。そして再び袖から出したとき、その握られた両の拳の指の間からは、細い銀色の線が3本ずつ伸びていた。

「——お針を、少々・・・」

(「お針」って・・・裁縫のことなんじゃ・・・?)

 クリムは思わず内心つっこんでいたが、口には出さず、あいまいにうなずいた。

「なるほどね・・・だれに習ったのかしら?」

「はい・・・天神会で、護身用にと・・・教わりました」

「え・・・?」

「この頃は・・・投げ方も・・・習っています」

「ふうん・・・」

(巫女って、そんなことも習うわけ・・・?)

 クリムはいぶかしみ、思案する。

(それに武器としても、少し変わってるわね——まあ、目立たないし、携帯はしやすい武器とは言えるけど・・・)

 エレベーターのドアが開くと、地下にありながら、天井の高い体育館のような広大な空間が広がる。アズマは目をしばたたいた。人工的な照明が無機質に明るい。
 ここから見える範囲では、フロアのほとんどを大小数面の闘技場と呼ばれるスペースが占めている。体操の床運動や格闘技の競技場に似た広いなにもない床面で、おもに隊員達の個人同士や複数による模擬戦等の訓練に用いられる。いまも何人かの隊員がそこで激しくやり合っているのが見える。また、それ以外にフロアの一画には、各種トレーニング機器が置かれたスペースもあった。
 アズマは目に入るそういったすべてをものめずらしげに見まわした。いままでセリーナからの訓練をフェンリル本部の地下2階にある訓練場で受けていた彼女は、ここに来るのははじめてのことだったのだ。
 しかし、立ち止まってきょろきょろしている彼女に構わず、クリムの方は早足でさっさといずこかへ進んでいき、置いていかれそうになったアズマは、あわててその後を追った。
 が、先に立って、振り返りもせずどんどん歩いていきながら、クリムはそうしたアズマの様子を気配でつかんでいた。

(——好奇心はある・・・いえ、むしろ強いようね・・・?)

 いくつかの闘技場を横目に壁づたいにしばらく進み、別の部屋へと通じるらしい、一つのドアの前に立った。

「ここよ」

 アズマにそう告げると、クリムはドアの横にあるカードリーダーに、ここアビスに降りるエレベーターへといたる入口を通るときにも使ったIDカードをかざした。音もなく、厚く重い金属製のドアが開く。
 中にはいると、いままでいたフロアにあった大きい方の闘技場と同じくらいの広さの部屋である。ただ、それじたいが発光するパネルが並べられたような天井は外よりいくぶん低く、壁面も床も鈍い光沢のある、金属めいたくすんだ銀色の材質となっていた。

「ここは、ファントム・ルームっていってね、ただの模擬戦や訓練じゃなくて、実際の戦闘での、場所なんかのいろんなシチュエーションを再現して、その中での戦闘訓練をおこなうためのところよ」

 ふたたび辺りをしげしげと眺め回しているアズマにクリムは説明をくわえる。

「見てなさい。たとえば——」

 言うと、クリムは入ったドアのわきの壁面に設置された操作パネルをすばやく動かした。
 部屋の照明がいったんかげると、次の瞬間にはなにもなかった部屋の空間がいくつもの建物が建ちならび、その前の道路を自動車の走る、地上の町の一角の風景となった。

「・・・!」

 息を呑み、アズマはその場に立ちつくした。建物も自動車も立体映像であったが、走る車の迫力も建物や道路の質感も、こうして近くで見ても、とうてい本物 としか思えない。それには理由があり、見えているものはたしかに映像ではあるのだが、単なる幻ではなく、擬似的な質量——訓練者に危険だったりなど、必要な場合は自動的に消失する——を持たせることもできているのだった。

 アズマはたしかに驚いたようだが、その見開かれた目はそれ以上に、興味津々なようすだった。あまりむじゃきにおもしろそうにしているので、クリムはもう少しサービスしてやることにした。 

「ほかにも・・・」

 光景が一変する。リゾート地の夏の海岸。地下ということを完全に忘れさせる、明るい強く照りつける陽光。白く広がる砂浜に、打ち寄せる波の音——それらがあまりに見事に作り上げられているために、再現されていない潮の香りさえ漂ってくるようだ。

「それから・・・」

 一転、寒風吹き荒ぶ雪山。すでに降り積もった雪が強風に舞い上げられ、空からいま降ってきた雪と一体となって、ごうごうと吹きつけてくる。見ているだけで凍えてしまいそうな——実際に、気温は下がったりはしていないのだが・・・

 アズマは胸の前で両手を握り合わせていた。

「——または、こんなことも・・・」

 ひどく不気味な異様な風景。光はほとんど射さない。暗さのためよく見えないが、だが、そこが決して天界や地上のどこでもないということだけは、なぜかはっきりわかる。闇の中にいくつもの光る目が浮かび、その後ろには蠢く何かの体があった・・・。
 その奇怪な光景を前にしても、アズマはおそれげもなく、ただ目を輝かせている。

(・・・やっぱり、ちょっと感覚がちがうわ)

 クリムは思う。いまの最後のはまた、アズマのメンタリティを試したのでもあった。それは呪詛悪魔たちの本拠である、『魔界』の姿のひとつ——守護天使なら誰しも恐怖、いや、何よりまず嫌悪感をおぼえるのが普通のはずの風景だったのだ。
 しかし、この少女にはそんなようすは微塵もなく、それどころかさらに期待に充ちた目をこちらに向けてきたりしている。
 そうやって、もっともっとと言いたそうな——さすがに本当に言いはしないが——顔の少女に、クリムは告げた。

「さあ、このくらいにしときましょ。遊びにきたわけじゃないんだから」

「はい・・・」

 表情は変わらないものの、あきらかに残念そうな空気があったが、アズマはすなおにうなずいた。
 クリムはいったん立体映像用のシステムを切った。部屋の中は再び元の殺風景な、ただ金属質の床や壁があるばかりのだだっ広い空間となる。

「それじゃ、まず・・・」

 クリムは肩にかけていた鞭を床に置き、アズマに向き直った。

「いまのあなたの力を見せてもらうわ。——何でもいいから、わたしに攻撃をかけてみて」

「はい」

 アズマはうなずいて、先ほどと同じように手をいったん袂にしまい、拳に固めた指の間に針をはさんで出すと——そのままいきなり、とばしてきた!

(・・・!!)

 至近からうたれた、閃光のような6本の銀線—— 
 クリムはとっさに横へとびのく! とほぼ同時に、腕を振るってはね返すように針をはじいた。あやうい。そうしていなければ、また、そうしても間に合わなければ、6本のうち2本はまともに突き刺さっていた。
 自分から攻撃するよう言ったクリムに、心構えがなかったわけではない。だが、アズマの動きは百戦錬磨の戦士である彼女をしてさえ予想外のものであった。
いや、クリムほどの経験の持ち主だからこそ、どうにか防げたのだ。ほかの者ならば、いまの初撃には対応できなかっただろう。  

(迅い・・・?! ——いえ、ちがう・・・)

 一瞬かんぜんに虚を衝かれたクリムだったが、次には、もうすでに冷静に分析する。

(動作もとばした針のスピードも、速さそのものは驚くほどじゃない。ただ、事前に気配がまるでなかった——殺気はおろか、攻撃へ移る闘志で表情がわずかに動くことさえ・・・。だから、わたしにもなにも読めなかった。それは、人を傷つけるかもしれない攻撃というものに、ためらいがないってことでもある。

——でも、意志の力で、非情に徹しているわけじゃない。たぶん初めから、なにも感じていない。スイッチを入れた機械が決まった動きをするみたいに、教えられた動作をただあたりまえのようにしているだけ・・・)

 須臾のうちに、クリムはそこまで読みきり、内心うなずく。

(なるほど・・・こういうところは、適性があるということになるのかもしれないわね。相手に悟られにくいうえに、躊躇なく攻撃できるんだから——ただ、現時点では・・・)

 アズマが再び針をとばしてきた。が、クリムは今度は余裕を持ってかわした。
 と——ふわ、とまるで浮き上がるように、アズマの体が宙へととぶ。

(ん、身が軽い。意表に出て、また、角度をつけた立体的な攻撃——工夫はあるのね。それとも、セリーナの仕込みかしら?)

 そのまま空中から下のクリムを目がけ、みたびアズマは針を放った。

(どちらにしても、これも、それじたいはいい。でも・・・)

「あまい・・・!」

 シッ! キ——キンッッ!・・・
 金属の床の上に6本の細い針がはね、刹那かん高い音がする。

アズマとカムド(ファントムルーム)

クリムはかるく跳びすさることですべてかわしていた。アズマと違い、あえて大きくは跳ばない。その必要もないし、そんなことをすれば、何か対策がないかぎり着地に移るとき、大きな隙ができる。
 現に今はその気もないのでしないが、床に降りる、というより、落ちてくる間の目の前の無防備なアズマを攻撃しようと思えば、いくらでもできた。

(まあ、この子の場合なら、降りるとき次のが用意できていれば、問題ないわけだけど——いまはできないみたいね。でも、それより・・・)

 床に降り立ったアズマは今度は横に走り、クリムのわきに回り込みながら、針を投げつけてきた。今度は右手と左手で時間差をつけて、3本ずつの針がことなる方向からクリムを襲う・・・! 
 しかし、クリムはそれもすべてなんなくかわした。ひやりとしたのは最初の一撃のみ、すでに完全にアズマの攻撃は見切っている。

(攻撃がバカ正直すぎる・・・。変わらない表情からこそ読まれないけど、狙う方向にまっすぐ向けてる視線と、意識の集中のしかたで狙いも攻撃のタイミングも丸わかりだわ。戦いは、もっとケレンがないと、ね・・・)

 クリムは自分も移動をはじめた。アズマをまっすぐ追うのではなく、彼女の動きに対して平行に、進む方向を同じくして走る。
 向かい合って走りながら、またアズマが針を投げてくるが、クリムはステップだけで、躱しきった。

(やっぱり・・・いくら事前の気配がなくても、これじゃ、いったんまともに向き合ったら、プロ相手にはあとの攻撃は通用しない。——まあ、なら、相手に姿を見られなければ・・・)

 クリムがそこまで考えたとき、異変が起こった。突如として走っていたアズマのスピードがガクン、と落ち、よろよろ2、3歩歩いたと思うと、ひざからくずれるようにその場にうずくまってしまったのである。

(え、なに・・・?)

 クリムは急ぎ近づいていった。これが演技で、誘いの隙ならたいしたものだ。が、この少女には、まだそんなまねはとてもできそうにないのはもうわかっている。

「アズマ・・・?」
「・・・」

 そばに片膝をついて肩に手をかけると、アズマは顔を上げた。だが、すぐに返事はできないようだった。呼吸がひどく荒い・・・。

「あなた、もしかして・・・」

 表情にはさほどの変化がないため、すぐは気がつかなかったが、顔色も悪くなっている・・・。

「・・・もう、つかれちゃったの?」
「・・・ハァ、ハァ・・・も、申し訳・・・」

 苦しい息の下からやっと言うと、けんめいに起きあがろうとする——のだが、体に力が入らず、なかなかできないようだった。

(ちょっと待って、あのくらいで・・・うそでしょ、もうガス欠? 体力ないとは聞いてたけど、まさか、こんな・・・)

 クリムはなかば呆然とした。

(まいった・・・。危険の感覚を教える方法を考えるどころじゃないわ——こっちの方がよっぽど深刻じゃないの・・・)

 あきれはて、ものも言えないでいるクリムの視線の先で、アズマはいまだ呼吸を整えられないでいた・・・。


P.E.T.S & Shippo Index - オリジナルキャラ創作