クリムは見つけた少女に、すぐには声をかけなかった。接触する前に、しばらく観察していることにしたのだ。その間に各機関の職員とあいさつを交わしたり 、本来の任務もこなしつつ、遠くからさりげなくその様子を見守っていた。相手のことを平生の振る舞いから知るためである。
——決して、近づいていって話したりして、周りから知り合いと思われるのがいやだったからとか、そういうわけではない・・・。
しばらく見ていたが、アズマはぽつねんとその場にたたずんだまま、ずっと動かないでいた。
相変わらず周りからはやや遠巻きにされて、ちらちら視線を投げられたりしているのだが、本人にはいっこう気にしたようすはない。いや、気づいてもいないのかもしれない。自分の場違いさかげんをもふくめ。
ところが、ややあって、アズマは不意に移動を始めた。かなりの広さがあるホールを横切っていく。その先々で、また視線が集まるが、あいかわらずどこ吹く
風といったふぜいで、いずこかへまっすぐ進む。
気づかれないよう離れてついていくと、アズマが向かったのは、たくさんの料理が置かれたテーブルが並べられたコーナーであった。どうやら、空腹を覚えたものらしかった。
テーブルの上に用意されたさらとはしを手にすると、鼻をくすぐるいいにおいのいろいろな料理をいそいそと取りはじめた。
(ふうん、おいしい食事を楽しむ気持ちはあるのね・・・)
クリムが何となく感心しながら見ていると、
「ぁ・・・っ!」
小さな声を上げ、アズマはせっかくの料理をのせたさらを床に取り落とした。
各料理のところにある取り分け用の大きなスプーンではなく、自分のはしを器用に使ってさらに移していたのだが、料理をのせた金属製のプレートが下にヒー
ターが入って熱く熱されているのに気づかず、手でじかに触ってしまったのであった。
すぐさま、給仕が来て、片付けを始めるのをアズマは見るともなく見ているようだった。目にうっすら涙を浮かべて。さらには、プレートにふれた細い薬指を小さな口に含みながら・・・。
そこでもまた、来たときから注目を浴びていたのだが、明らかにこの時、アズマを見る周りの空気は変わった。
(なんか・・・一部の男どもに、えらく受けてるみたいだけど——)
「おぉ♪」 「ドジっ娘、カワイー☆」 「萌え〜〜!」
とかいう、何者かの心中の声までをも聞いた気がする・・・クリムは、やれやれと首をふった。
(一応、公式の席なんだけど、このままだと、あの子をナンパしようなんて浅はかな男もあらわれそうね・・・)
しかたない、面倒なことがおきる前に、とクリムは少女に近づいていった。
「イタチのアズマ——」
呼びかけると、少女はこちらに目を向けてきた。美しく整っているが、おさない感じの顔だち——モデルの人種と転生先から欧米人的感覚の持ち主であるクリムには、東洋系の顔はみな実年齢よりか年少に見えることをさし引いても——だが、その表情は純粋無垢とは言いえても、ただ子どもの持つ幼稚さといった印象はない。それはその大きな瞳がガラスのように、澄んではいるが何ものも映し出さない目だからであった。たまった涙がまだ目の端に残っていたが、それが不自然なほど表情じたいは透明で、何の色もなかった。
「覚えてる? わたしのこと」
アズマはうなずいて、
「はい、クリムゾンさま・・・ごぶさたしておりました・・・」
そう言うと、アズマの視線はクリムの胸の部分でピタっと止まった。
クリムは落ちつかない気分になった。
圧倒的な存在感を有するその二つの名峰を人から見られることには、とっくに慣れっこである。男達からはもちろん、同性からも。とりわけ、麓から頂までの稜線がそのまま出、露出の多いこうしたドレス姿の時などには。
だが、こういう目で注視されるのは、いささか勝手が違った。同じ女性からの視線を受けるときよく感じる、憧憬あるいは羨望や嫉妬の入り混じった目ではない。そういうはっきりした感情はなく、あるのは純粋な好奇心、とでも言おうか
——何だか不思議なものでも見るように、じぃっと見つめてくる。
そうして、その状態で結構な間があって、アズマは、
「・・・セリーナ教官から、おはなしは・・・うかがっております。このたびは、わざわざ・・・どうぞ・・・よろしく、お願い申し上げます」
平気でそのままそう続けて、ふかぶかと頭を下げてきたのである。
(・・・)
テンポが——
クリムは、どっと疲れた。——それに、今のだと、何か胸にあいさつされたような気がする・・・。
「えーと・・・」
気を取り直して、
「わたしのことはクリムでいいわ。それで、わたしの方の用はもうすんだから、よければ、これからすぐ始めるけど・・・」
「はい——あ・・・でも、あの・・・」
アズマは一度うなずきはしたが、気がついたように言いよどみ、
「こちらの、お料理を・・・すこし、いただいてからでは・・・いけないでしょうか・・・?」
「ああ——」
考えてみれば、彼女は結局まだなにも食べれてはいない。
「おなかすいてるようね・・・?」
「はい、それに・・・私の・・・知らない、お料理がたくさんありますので・・・ぜひ、お味見を・・・できたら、今度兄にも作ってやりたいと・・・」
(ああ、それで・・・)
そう言えば、さきほどアズマはたくさんの料理をほんの少しずつ、できるだけ多くの種類をさらに乗せていた。
そして、この娘が男女が別々に暮らすのが原則の天界にあって、兄と一緒の家で住むことを特別に許可されているという事情も思い出した。
(お兄さんのために、か・・・)
少し意外な気もする。見かけの無表情どおり、記憶と感情を喪ったというこの少女にそんな思いがあること。そして、クリムは詳しくは知らないが、それでも聞こえてくる、その兄なる人物の評判を聞くにつけても、そんな穏やかな家庭生活を営んでいるようにも思えなかったからである。
——だがまあ、兄妹の仲はまた別なのかもしれない。
「そうね・・・。いいわよ。せっかく、こんなところまで来たんですものね。いろいろおいしそうなものもあるし——わたしもいただくから、少しの間、食事にしましょう。ただし、あまり食べすぎないように」
「はい・・・ありがとうございます・・・」
頭を下げると、アズマは再び料理のテーブルへと向かった。
(なかなか、いい子じゃない)
その後ろ姿をクリムは微笑ましげに見送った。
が、むろん、それとアズマの戦闘員としての評価は別である。そちらの方は、今のところまだ未知数だった。