「待て、アレク!!」
鞭のような声が飛んだ。その声に振り返った若者の目はしかし、爛と燃えていた。
「—— 悪いが、あんたの言うことでも、もう聞けん。また5人やられた。これ以上黙って、見過ごせるか・・・!」
アレクの声は常よりいちだん低く、一見落ち着いているようにも思えた。が、それは激しい感情をむりやり抑えつけているためで、実際には暴発寸前であることが彼をよく知るまわりの者たちには、明らかすぎるくらい明白だった。
「だからと言って、やみくもに突っ込んで、どうする? 止めろ、ガルシア!」
その声とほとんど同時に、長く太い腕が背後からにゅっと伸びてきて若者を羽交い締めにした。その巨体からは信じられないほどに素早い動き——いや、ニールの命令より前に、すでに予想してその動作を起こしていたからだった。
「はなせ、ガルシア!!」
首を圧迫する太い腕を両手でつかみ、もがくアレク。その力もかなりのものだが、それでも、万力のような腕はびくともしない。
「だめダ。オマえ、見えていナイだろウ」
「ああ?! なんのことだ? とにかく ——」
突然、ガルシアの腕が巻きついていたアレクの首のまわり、こまかい房のような服のえり飾りが炎を上げ、燃え上がった。フラッシュのように一瞬の間に燃えつき、なぜかそれ以上は燃え広がることなくそれだけで完全に消えたが、さすがに反射的に緩んだガルシアの腕をアレクは振りほどき、いましめから逃れた。
「すまん。だが俺はもう、ただ見ているだけなんてできない」
そう言い捨てて、あらためて跳び出さんと向き直ったアレクだったが、その動きは再び停止する。目の前になにか細長いものを突きつけられて・・・目の焦点を合わせると、それは閉じられた扇——漆塗りの親骨に、貼られた和紙には凝った図柄が装飾として施された高級そうなものではあるが——普通の扇だった。
「なんの真似だ、ゲン」
「なに、私も和主(わぬし)と同じでな」
にらむと、扇を手にした相手は目を細めて、莞爾と——いや、むしろ嫣然とほほえんだ。
アレクより頭半分ほど低い、せいぜい中背というところの背丈だが、頭身が高く姿勢がいいためか、実際よりかなり高く見える。まっすぐ伸びた細絹のような髪は肩まで届き、その髪と同じような黒炭のように黒い二重回しの長いコートに身を包んでいる。
アレクとはまた違うタイプの優男の美男だった。髪型とも相まって、とりわけこうして笑みを浮かべている時など、女性のように優美な顔立ちと思える。
今もやさしげな、だがその中にからかうような色も見せて、“ゲン”と呼ばれた青年は続ける。
「この上、仲間が無駄死にするのをほってはおけんというわけだ」
「無駄死にだと・・・俺もやられるって言うのか・・・!」
アレクの重い怒気を向けられながら、しかし、相手はさらりと受け流した。
「はて・・・今の言の葉にそれ以外解釈のしようがあるものなら、聞きたいが」
「ちっ・・・!」
アレクが舌打ちすると、次の瞬間、青年の持つ扇もまた先端から火を噴き出した。
しかし、青年はあわてる素振りも見せず、優雅な手つきで火がついたままの扇を開く。開いたことで、炎はひときわ大きくなった。それを手首の動作だけでぽんと投げ上げる。
火がついた扇がゆらゆらと揺らめきつつ落ちていったのは、その間に再び跳び出しかけていたアレクの鼻先だった。
アレクに触れる直前、かき消すように炎は消えたが、一瞬止まった彼の今度は喉元に——もう少し力を込めれば、抉れるぐらいに——ぴたりと何かが押し当てられる。・・・いつの間にやら取り出した別の扇だった。それもただの木と紙でできた扇のようだったが、アレクはややあごをそらし、立ちすくむようになる。
「と、いう次第だ。気が急いて動きが雑なものだから、うつつの私にさえ、こうも簡単に止められる。少しは頭を冷やすがよかろう」
「くっ・・・」
唇をかむアレクに青年は続ける。
「熱血は和主の美点と言えようが、それも場合によりけりよ。その様子ではガルシアの言うとおり、和主、やはり見えておらんな・・・」
「だから、何だ、さっきから・・・! 何だか知らんが、そんなこと言っている場合か!!」
わかろうともせず、ただますますいらいらをつのらせるような相手に、青年はやれやれと肩をすくめた。
その時、鈴を転がすような声が響いた。
「だめよ、アレク。衒志郎さんの言うこと、ちゃんときいて」
先ほどまで、部屋のすみで座禅を組むような格好で座っていた女だった。こうして立ち上がってみるとかなり小柄の方だが、こげ茶のゆったりとしたラインのワイド系のパンツにブラウスを着こなしたスタイルはよく、整っている一方で、どことなく少女っぽさの抜けきらない顔立ちに黒目がちの目が印象的だった。その大きな目をじっと据えて、まっすぐアレクの方を見つめる。
「いや、ファデェ。しかしな・・・」
「いけません」
きっぱりした口調だった。
おとなしめで、常日頃、仲間の誰に対してもていねいで腰の低い彼女だったが、どういうわけか、アレクにだけは姉のような口を利く。
「・・・わかった」
そして、なぜかアレクもまた、年下の彼女のそうした態度を自然に受け入れていた。
「いや、さすが・・・」
少しだけ開いた扇で口元を隠しながら、ふっふっと、ゲン——衒志郎は笑い声を洩らした。
「火の玉坊やの扱いにかけては、やはり、“音姫”にしくはなし、か」
“坊や”呼ばわりに唇を曲げたが、アレクは今度はなにも言わなかった。
「しかし、さようか・・・むろん、御許(おもと)にもわかったわけだな。では、アレクに言うてやってくれ、ファデット」
笑いをおさめて、衒志郎は扇をファデットと呼んだ女性の方へ向けた。
「あ、でも・・・わたしは、“見えた”わけではありません・・・」
「おなじこと。それに、御許からの方がアレクも聞く」
「ええと——」
アレクや他の仲間たちからも視線を集めて頬を染めたが、思いきったように口を開いた。
「あの人——あの敵は・・・」
そして、その内容に自然表情もあらたまる。
「戦っているとき、攻撃には、たぶん片手だけしか、使ってないわ」
「・・・!!」
衝撃はアレクだけでなく、無音の雷鳴となって、部屋中を駆け巡った。