Episode03 —“裏”開封— −3
「キャップ」
「GIA(ぎあ)か」
不意にすぐ近くの床面の方から耳慣れた声がした。バステラは応えたが、声の方を見はしなかった。そちらを向いたとしても、そこに何も見えはしない。そういう相手なのだった。
日常においても、仲間たちの前にも姿を現すことはめったにない。いや、直接の上官と言っていいバステラとすら、面と向かって話をすることの方が稀だった。
だが、これまで長いこと幾多の死線を共にくぐり抜けてきた、バステラにとっては最も近しく、また頼みとする部下であった。
「どう見た?」
バステラの語りかける声も特殊な発声のもので、彼の近く、周囲1メートル以内なら普通に聞こえるが、その範囲を出ると、急激に聞き取りにくくなる。2メートルも離れれば、もうほとんど聞こえはしない。
「表面だけでも、白兵戦技の体術として、最高クラス。しかも、まだとても全力というわけでもなく」
感情のこもらない声がよどみなく答える。
「体術・・・何らかの超能力——テレポートか、それに類するような、なにかを使っていたということは?」
「自分が見る限り、今の戦闘ではありません」
「では、リコの“針山”さえ、ただの体術で躱しきった、というのか・・・」
「リコの腕の動きより、やつの体捌きの方がはるかに迅かった——それだけのことです」
「しかし、そこまで・・・」
そのリコの腕の動作でさえ、自分には残像で何本にも見える・・・それを身体全体で軽く凌駕する速さとは、いったいどれほどのものなのか。——しかし、確かにそう言えば、片時も目を離さなかったはずのあの男の姿をしばしば見失ってしまっていたのだった。
「言わば、次元が違います。あれほどの戦闘員、もしかすると、事前にりき丸のことも見抜いたかもしれませんが・・・そうでなかったとしても、あの男にはなんの問題もなかったでしょう。りき丸の力は同格の速さに対したときにこそ、瞬間十倍にもはね上がるその加速で、初めの一度は確実に相手の意表を衝くことができたわけですが——もともと一〇〇〇の速さを持つ者にとっては、一の速さが一〇になったところで、たいした変わりはない——そういうことです」
GIAの指摘は残酷なまでに当を得ていた。味方のことであっても、その冷徹な分析がくもることはない。しかし、こうした目と思考がバステラには、また、仲間全体にとっても必要なものだった。
「・・・速さだけでもそこまでの差があると、それだけですでにたいへんな脅威になるが——だいたい、それでは、まともにスピードで対抗できるような者は、我々の中には・・・」
「通常では、おそらくいないかと・・・ただ、それでも——“不死蝶”ならば、あるいは・・・ですが、そのレベルになると、自分には判断がつきません」
「そうか、“不死蝶”か・・・そうだ、それに“不死蝶”なら、おそらく、奴のプレッシャーにも押されることなく動けるだろうからな——いや、だが、あれは・・・」
“不死蝶”であれば、GIAの言うとおり、瞬間の攻防において、あの敵のスピードにも対応しうるかもしれない。さらにまた、あの敵に向かっていくとき、他の者がまず抗さなければならないだろう圧迫感も“不死蝶”には関係ないはずだった。しかし、問題がある。“不死蝶”は他の仲間との連携はまったく取れないからだ。いかに“五爪(タランズ)”の一人と言えど、あんな相手に掩護もなく一対一の戦いを挑ませるわけにはいかない。ニールも、おそらく同じ判断をするだろう。ラギたち5人をことごとく一撃で屠ってのけたあの敵の戦闘技術の恐ろしさは、スピードだけではないのだ。
そのうえ、超絶的なその体術の他に、間違いなく何らかの特殊能力も持っている。それも、何かとてつもない・・・。
最初に一斉射撃の銃弾を跳ね返して味方数人を倒した——そのことは、バステラだけでなく味方全員にとって衝撃であったろうが、その後、他の仲間たちがほとんど誰も注意を向けなかったことにバステラは気づいていた。
あれは単なるバリアーのようなものなどではなかった。跳ね返った弾がただ偶然当たったにしては、かなり離れたところにいた者までがやられているし、なにより、ちょうど急所に当たりすぎていたのだ。
もっと何か、得体のしれない恐るべき能力・・・。
(だが——今はそうした力を、なぜか使おうとしない・・・使えない、とも思えんが)
「それで、どうされます」
思考に沈んでいたバステラの意識は、その声で引き戻された。
聞こえてくる声の方向はいつのまにか、変わっていた。こうして話をしている間にもGIAは絶えずその位置を変えている。
「やつの方から攻撃してこない以上、こちらもむりには攻めずにしばらく様子を見たかったが・・・」
バステラは敵ではなく、その敵を取り囲む味方たちの方へ目をやり、言葉を切った——と言うより、正確には自然に切れたのだった。
「だんだんみんな、奴のプレッシャーに耐えきれなくなりつつある・・・このままいけば、我慢できなくなった者が飛び出してしまうだろう。連繋も策もなにもなく——すると、各個に瞬殺されるだけだ」
「ではその前に、こちらから」
「ああ。ただし、今の話を考えても、正攻法では到底無理だ。今度は真っ向ではなく、からめ手から行く。お前たちにも動いてもらわねばならんな」
「了解。——ですが、自分達のやり方でもそう効果はないでしょう」
その返答に、バステラはいささかショックを隠しきれなかった。
GIAとその配下を合わせたチームは、「5人で100人に匹敵する」と言われている。通常の戦闘能力がそれほどに並外れているということではなかった。敵に対して決してまともに向き合わず身を潜め、そこから不意を襲い隙を突き、そうやって少しずつ倒していくことで、たとえ20倍の人数であっても、最後には全滅させる。あるいはまた、当たり前ならかなうはずもない格上の強敵でも、やりようによって葬る。——奇襲・暗殺に特化したコマンドなのである。
事実、これまでに対立する別の呪詛悪魔のグループを、アジトにチーム単独で潜入し殲滅したことも、休暇で任務から離れ油断していた高位の大天使を討ち取ったこともあるのだ。それが——。
「お前でもか・・・お前たちなら、たとえ実力がずっと上の相手でも、条件さえ整えられれば、倒すことも可能のはずだろうに」
「たしかに暗殺とはそういうものですが、しかし、あの男には通用しそうにありません。——あの男には、我々と同じようなにおいを感じます」
「む? やつ自身、暗殺者だとでも・・・ばかな、単身、敵の集団のただ中に、しかも堂々と姿をさらして入ってくるような暗殺者など・・・」
「姿を隠さないのは、その必要がないと思っているからなのかもしれません。いずれにしろ、暗殺者そのものではなくとも、そうしたことを知りつくしていると思われます。自分達が気づかれぬまま近づこうとしても、すぐに察知されてしまうでしょう」
「むう・・・」
バステラはうめいた。
GIAの冷徹な分析は、自分たち自身のことでさえ、完全に第三者の視点からなされ、決して客観性を失うことがなかった。そこにはおのれの力への過信も幻想も、いかなる希望的観測もいっさい入り込みはしない。この男がそう言うのであれば、そうなのだと思うほかなかった。
「——それでは、虚実取り混ぜた戦法を取る以外ないな。“不死蝶”はむろん、ニールにまだ動かす気がないのなら、アレクやガルシアたちの力も当てにできんし」
「アレクなら、かっとしてニールの命に背いてでも飛び出してくる気もしますが・・・」
「確かにな。だが、それは必ずしも歓迎できん。そんな状態で出てこられても、つまらんことで、足もとをすくわれかねないからな——我々の中でもいちばんの戦力だが、あれは気質にムラがありすぎる。誰か、冷静を保たせてくれていればいいが・・・」
「アレクの力は、多少かっかしていても、たいていの敵であれば、問題にもしないでしょうが・・・しかし、あの男相手にはおそらく、そうしたわずかな隙も命取りです」
「そうだろうな」
バステラはうなずいたが、その後の相手の言葉には、訝しげな目をした。
「少なくとも、ちゃんと見えているぐらいでなければ」