「えぅ〜。どこに何があるのか、わかりませ〜ん」
夢から戻ってきた俺が耳から入ってきた音は、なんとも情けない声だった。
目を開けて、近くに置いてあった携帯を見て見ると、時間は午前6時半。
バイトの時間が10時にあるから、まだ寝ている時間だった。
「あいつ、何やっているんだ?」
冬で余計に重くなった上半身を強引に起こして、部屋を見回して見ると、キッチンにエプロン姿のサキミがいた。
一瞬、はだ……なんて思ったが、普通に服を着ていた。
家にエプロンなんてあったかなと思いつつ、完全に体を起こして、キッチンへと赴く。
「よお。おはよう」
「あっ、ご主人様〜。おはようございます」
「お、おう」
恐らく、サキミにとっての最高の笑顔に、俺は不覚にも『萌え』を感じてしまった。
反則だぞ、その百万ボルト的な笑顔は。
「うり〜」
「へぅ〜」
照れ隠しで、サキミのほっぺを引っ張ってやった。
おお、かなり伸びるな。
「ひゃ、ひゃめてくだひゃい。へぅ〜」
「う〜ん。やっぱり朝一でひっぱるサキミの頬は、かなりいい感じだな。今日から日課にしよう」
「ひょんなこと、日課にしないでくだひゃいよ〜」
「いいじゃねえか、よっと」
「えぅ〜」
いい感じで(?)涙目になったサキミの頬を離すと、すりすりと頬を摩った。
「それよりも、何していたんだ?」
文句を言われる前に、先行入力で話題を振る。
「朝ごはん、作ろうかなって」
「そして、この状況下に困り果てていた、と」
「はいですぅ〜」
かなり文句がありそうな(実際にはあるんだろう)サキミを見て、とりあえず唯一綺麗であろうシンクの周りを見てみる。
そこには既に材料が用意されて、見るからに、いかにも和食という素材がある。
にしても、確か昨日までの材料はもうなかったはずだが…。
「どうしたんだ、これ」
「お散歩をしていたら、近くのスーパーで朝市をしていたんですよ。それで、新鮮な食材で飛びっきりの朝ごはんを作ろうと思って、買ってきたんですよ」
「ああ。そういえば、朝市するとかってチラシに出ていたな」
少しでも貧乏生活から脱出するために自炊をしている俺は、よく近くの激安スーパーに行くことがあり、そこで買い物をしたときに、今度朝市をすると店員が言っていたな。
いつもよりさらに安くという見出しに、一旦はチラシに釘付けになってしまったが、早朝という、この時期には一番相応しくない時間にやるということで、完全に行く気はなくなってしまっていた。
「ちょうど食材がなくなってしまっていたところだ」
「そうだったんですか。よかったです」
「ああ。ところで、何を作ってくれるんだ?」
「いい鯖が入っていたので、これを主食にしようかなと」
「あそこは値段の割にいい素材を仕入れてくるんだよな」
なんでも、食材各種の独自のルートを開拓しているらしく、各地からとれたての食材が入ってくる。
それが朝市となると、より一層新鮮な食材になるんだろう。
「ご主人様は、味噌煮と塩焼き、どちらが好みですか?」
「そうだな…。いつもなら味噌煮派なんだが、今日は素材の味を楽しむということで、塩焼きにしてもらおうかな」
「はい。塩も、いいのが入ったので、きっとおいしいですよ」
よく見ると、俺がいつも買っている量産の塩ではなく、専門店とか売っている塩だった。
確かに、家の近くにそういう店があるのは前から知っていたが、極力食べ物に金をかけられない関係で、あまり縁がない場所だった。
「しかし、よく金があったな」
「はい。めいどの世界から貯めていた貯金がありましたので。あっ、そうでした」
ぽん、とおばさんくさく手の平をたたくと、サキミはスポーツバックの中から、A4サイズの封筒を差し出した。
なにやら、中央部分が膨れていた。
「……お前はヒットガールだったのか」
「ち、違います! 至って安全なもの、かつ、ご主人様が絶対に喜ぶものです」
「言い切ったな」
「はい。きっと、人間さんは誰しも喜ぶものだと思いますよ」
「そこまでいうのであれば…」
俺はサキミから茶封筒を受け取って、ハサミで慎重に開けて、中身を開けてみる。
すると、そこからはなんと…。
「……ウッハウッハ」
「はい。ウッハウッハ、ですよ」
福沢先生が100人ずつにまとめられたのが、5枚出てきた。
確かに、日本人なら誰しもほしがるものだった。
特に、俺みたいな貧乏人には、のどから手が出るほど来てほしかったものだった。
「……どうしたんだよ? これ」
少しばかり残っていた良心を振り絞って、この福沢先生の出所をサキミに問う。
もしも捕ってきたものだったら大変だ。
「私が援護天使で稼いだお金です。少しばかりですけども、ご主人様のお役に立てればなって思って……」
「少しばかり、デスト?」
「はい」
あまりのサキミの暴言に、俺の裏モードのスイッチが入ってしまった。
「そっかそっか。ありがとうな、サ・キ・ミ♪」
「え、えぅ〜。わ、私、何かとんでもないこと、言いました?」
自分の犯した罪に気づいたようだが、もう遅い。
「ああ。貧乏人には、特にむかつくことを、な!」
「えぅ〜!!」
俺は両手でサキミの頬を思いっきり引っ張った。
「え、えぅ〜。えぅ〜」
「おらおら!」
そこからサキミの後ろに回って、両手を持って、足で背中を押しながら引っ張る。
「い、痛いですぅ〜」
「これで、ラストォー!!」
サキミのお腹辺りに手を回して、そこから勢いをつけて、ジャーマンスープレックスをおみまいする。
もちろん、最後は手加減をする。
ドン!
「えぅ〜!!」
「ふぅ〜。すっきり」
体勢を整えて、汗を拭う真似をしながらサキミを見ると、後頭部を押さえながら、完全に泣いてしまっていた。
「ひ、ひどいですぅ〜。えぅ〜」
「……やり過ぎた」
かなり抑えていた裏モードだったが、それでもサキミには予想以上のダメージがあったらしい。
というか、女の子にあんなことをした俺ってどうよ、と、今になって思ってしまう。
「えっと、その……。ごほん。今後は、発言に気をつけるように」
って、違うだろう、俺。
「ふえ〜ん」
さてと、どうしたものかな。
素直に謝ればいいのだが、ここで機嫌を取り戻しておかないと、何か身の危険を感じるような料理が出てきそうだ。
例えば、ものすごい、人類の味覚を超越しているぐらいの甘い料理とか。
甘いのがあまり得意ではない俺にとって、それは地獄の苦しみになるであろう。
なので、ここで一気に機嫌を取り戻してもらう必要があった。
女の子にとって、サキミにとって、俺という存在は何か。
俺という存在がして、サキミが喜んでくれる行為。
……アレしかないか。
「サキミ…」
「ふえ〜ん」
「…ごめんな」
ちゅ。
「えぅ〜?」
軽く、サキミの頬にキスをしてやった。
とっさに思いついたこととはいえ、自分でもやった行為に驚いてしまっている。
「あ、あの、今のは……」
「ほっぺにチュ、だろうが。お詫びにと思って」
「……えぅ〜♪」
さっきの泣き虫はどこへやら、って感じで、ものすごい笑顔になった。
「ご主人様に〜キスされた〜。ほっぺにチュってキスされた〜♪ すんごくすんごくすんごくすんごく、も〜の〜すんごく嬉しいよ〜♪」
……こっちもやり過ぎてしまった。
古今東西、こういう暴走状態になってしまったら、なかなか元の世界に戻ってこれないのだ。
だから俺は、
「…朝ごはん、頼むな」
「は〜いですぅ〜」
一応大丈夫だろうと思いつつ、キッチンを出……ようとした。
「……カラス?」