>4年前、天界裁判所地下留置場取調室
部屋は、重苦しい沈黙によって支配されていた。
ディアナが語ったサキの過去……聞き終わった時、俺はあまりの事に愕然としていた。
この女性、白鷺のサキが……悲惨・凄惨なんて言葉ですら生温い体験をしなければならなかったのか……そんな現実の不条理さ・理不尽さに、俺は文字通り言葉を失っていた。
また、セリーナや書記官、警備官達でさえ苦虫を噛み潰したような、やるせない表情をしていた。
この手の話には慣れていそうな彼らでさえ衝撃を隠し切れない、それ程の悲劇であったようだ。
「以上です……」
ディアナの語りが終わった。
いち早く、衝撃から立ち直っていたセリーナが、口火を切る。
「ところで、担当官……」
一瞬誰の事を言っているのか分からなかったが、一呼吸置いてから、それが俺のことだったと理解した。
そして、俺の瞳には、やや他人行儀なセリーナが写っていた。
「疑問・質問を仰って下さい。まだディアナとわたくしの記憶が鮮明であるうちに……」
その言葉に、俺は重圧を感じなかった……と言えば嘘になる。
だが、何とかしてサキを助ける手助けをしてやりたい、その想いからか言葉は自然に溢れ出て来た。
「少々疑問に残った所があるのだが、よろしいか?」
俺の声にうなづくセリーナとディアナ。
「サキの潜在能力を引き出させた、その『謎の声』の主は一体何者なのでしょうか?」
「先遣隊の報告によると、Aクラス指名手配犯『オラクル』の仕業である、と断言しています。元々サキの堕天は『オラクル』に対する追跡任務に就いていた者が発見・確認した……と、報告書にはそう記載してあります」
ここで誰かが、書記官か二人の警備官のどちらかが、厄介な相手だな……と、そう呟いたのを聞き逃さなかった。俺はその言葉が気になったが、構わずにセリーナに続けるように促す。
「『オラクル』への追跡任務が中断されてしまった理由ですが、サキの……彼女の敵対レベルが『オラクル』より高かった、これに尽きます。人間達に対して緊急にその存在を隠蔽しなければならず、更には『ヤクザ達』への憎しみが暴走し、無関係な人間への虐殺に奔る可能性も低くはありませんでした」
そこまでセリーナが語った時、俺以外の全員……ディアナと書記官、さらには警備官までが息を飲んだ様に思えた。その雰囲気は、長年の仇敵の取り逃がしてしまった無念さと、手強い仇敵『オラクル』と呼ばれている奴よりサキのほうが強いという事実、さらに『よくぞ自我を取り戻せたな……』という感嘆の意味の意味を含んだ驚きだったんだ。……もっとも、その事を知ったのが、この一連の騒動に決着がついてから、だったが。
話を戻そう。『オラクル』という聞き慣れない名前を聞いた事で、思わず俺は話の腰を折って質問してしまった。
「不勉強ですみませんが俺にも教えてくれませんか? 度々名前の挙がる、その『オラクル』ってのは何者なのですか?」
「名はオラクル・性別は多分男・魔王レベル4の呪詛悪魔……特殊能力は『守護天使を洗脳して、自らの尖兵にする事』……本人自身の強さはさほどではないらしいが、その手法が悪辣。洗脳した守護天使に、自らのご主人を殺させる事によって堕天を完了させる……という、決して許せない手法を用いる外道。しかも、追跡者の気配を察知する術に長け、天界の追跡者達も奴を取り逃がしてしまっている。奴が『一匹狼』タイプか『集団に所属』かは不明」
これを聞いた時、まだ経験の浅かった俺は(そんな物なのか……)程度にしか思わなかった。それより、セリーナの見事なまでの記憶力に舌を巻いていた。この時の俺は、感心する所が少々ずれていたんだな。今となっては笑い話にもならんが。
ただ俺の知らない所で……上層部ではサキを用いての一つの作戦が計画されていた。
その為に、指令書に『生かしたまま捕らえる事』と書かれていたんだ。さらに……いや、これは順次語って行こうと思う。
ともかく、何もかもが異例ずくめの計画だった。当然、下っ端だった俺がそれを……上層部の真意を知るのは、まだ先の話だったが。
俺はそのまま話を続けた。
「では、サキのご主人がヤクザとトラブルになっていたようですが、その原因は?」
「現在、調査中です。ですが、サキのご主人の『秋川新一』氏の母親が、『松本』という、サキに殺された悪徳議員の事務所で働いていた経歴があった事が判明しています。これは推測ですが……松本議員に関する何らかの秘密を握っていたのではないでしょうか? その証拠を自宅の何処かに隠していた……と、少なくとも議員達がそう考えたのは確実ですね」
確かに、そんな所だろうな。俺もセリーナ意見に概ね同意だった。
この、新一とヤクザのトラブルの件に関しては、この段階では何も分かっていなかったので、一先ず調査を続行する事となった。数ヶ月後、俺はこの件の報告書を読む機会があった。大筋でセリーナの推測は的を得ていた。
以下は、その報告書の要約だ。(俺の注釈も入っているが)
秋川夫妻(新一の両親)は今(サキの取調べ時)から17年前、知り合いから例の家を格安で購入した。その安さに見合わぬ程の優良な物件だったらしい。問題は、その家の元の持ち主だ。
松本議員の事務所で以前に一緒に働いていたその知り合いは、執拗に現金での支払いと、早期の銀行への振込み日に固執していた。結局の所、新一の両親は言われた通りに支払ったのだが、それが急に引越しが決まった理由だったようだ。なお、この知り合いは、家を譲り渡した直後、行方不明になった。
長期間消息不明だったその知り合いから、分厚い書類の束が郵送されたきたのは、今(サキの取調べ時)から三年前の事だった。最もこれは新一が与り知らぬ事であったが。
その書類の中身は……言うまでも無いな。松本議員の悪事の証拠が満載されていたんだ。贈賄・収賄・恐喝・脅迫・脱税・誘拐・殺人・死体遺棄……まるで、犯罪の総合商社だ。
犯罪の証拠であるそれらの書類は、これを受け取った新一の両親の手によって、何故か床下の土に穴を掘って埋められた。その直後だった。新一の両親が、飛行機事故で死んだのは。(飛行機事故に巻き込まれた事、それ事体は不幸な偶然だったらしいが)
何故、直ぐに報道機関や捜査機関に届けず、又は廃棄もせずに自宅に保管していたのか……結局の所、真相は永遠に闇の中になってしまったが。
なお、その書類を送った元同僚は、フィリピンで水死体となって発見された。死因は不明との事だったが、状況からして、間違いなく口封じだろう。
新一を脅迫したヤクザは、新一が書類の事を知っていると思い込んでいた節があるが、新一は全く知らなかった。
要するにだ、犯罪者がその犯罪を隠すのに犯罪を以ってした、という事だ。
あと、『美鈴の誘拐』に関しては、関係者全員が死んでしまった為に詳細な事実関係は分からなかったが、ヤクザ達が『秋川美鈴』を拉致しようとした事と『秋川の家』を家捜ししようとしていた事、これは別口だった事が判明した。どうやら、『美鈴』を無理矢理拉致した後、薬漬けにして風俗か何かで働かせるか、あるいは『松本議員』へ献上するつもりだったのか……いずれにしろ、ろくでもない目的だったのは疑いの余地も無い。
『幾つかの偶然と悪意が重なりあった結果、このような忌わしい事件になったと考える。我々は、禁忌を犯した破戒者でもあるが、同時に被害者でもある、サキという守護天使への同情を禁じ得ない』……と、報告書は、このように結ばれていた。
この報告書を読み終えた俺は、湧き上がる怒りを抑えるのに多大な努力を要した。
こんな奴らの……心無い人間のせいで、サキの幸福は踏み躙られて、その未来は奪われてしまったんだ。
その代価を奴らは自分自身の命で支払う結果となったが、それこそ奴らに相応しい、因果が巡った結果と言うべきだろうな!