P.E.T.S.[AS]

第7話「すれ違う心」

 おそるおそる、あたしは自分の家の玄関を開けた。
 先日の嵐のような雨とは対象的に、今日は全ての音を通すような無風無音。分厚い雲が月や星々を覆い隠し、辺りを暗い闇が覆っていた。 
 そして、肌がじっとりと濡れてしまいそうな、気持ち悪いまでの夏の湿気。
 あたしは親父に遭遇することを恐れ、廊下を音を立てないようにゆっくりと歩いて行って、自分の自室へと向かった。
 自室に閉じこもれば、今日はいつもの「アレ」をされないで、やり過ごすことができるだろう。
 いっそ、家に帰らず、家出した方がずっと楽だったと思う。しかし、私はこの家が好きだった。かつて、母親と一緒に暮らしたはずのこの家を。
 この家は自分が守る。親父だけのものにさせたくなかった。
 親父は物を使ったらその場に放り投げ、散らかし放題だった。それが我慢ならないあたしは、家のほとんどの場所の掃除を自分でしていた。
 唯一掃除できないのが、親父の部屋。部屋の物に触れると酷く怒鳴られるからだった。親父の部屋はいまや人が住めるような場所ではなくなっていた。仕事道具や生活ごみが混ざり合って床に散らばり、外からでも気づくような悪臭を放っていた。
 いつから、親父はああなってしまったんだろう。物心つくころには、すでにそうなっていた気がする。はるか昔の、あたしが生まれたころの親父は、まともだったのだろうか。
 考え事をしているうちに、自室の前についた。やった……これで、自室のベッドの下に隠れていれば、「アレ」をやり過ごせる。少しの希望を見いだして、自室のドアを開けたそのときだった。

「あ、ああ……」

 恐怖で、声が出なくなった。自室のドアを開けたら、目の前に親父が立っていたからだった。

「隠れようとしていたのか?」

「ち、ちが……親父……ああっ」

 強引に腕を捕まれる。

「ちょっと……まってよ。まだシャワーも浴びてない!」
「終わったあとにすればいい……来い! 昨日の続きだ」

 あたしは親父に抱え上げられ、そのまま親父の部屋へと運ばれた。部屋の隅にあるベッドに乱暴に放り投げられ、あたしは万力のような力で体を押さえつけられた。ベッドの両脇にある縄で、手足を縛られる。あたしは四肢を拘束され、うつぶせにベッドに押しつけられる格好になった。
「始めるぞ……」
 Tシャツを脱がされ、上半身を裸にされたあたしは、無防備な背中を親父にさらすことになった。これから、「アレ」が始まる。もう何度経験しても、慣れることがない儀式……。
 背中に冷たい刃物の感触……そして、「それ」は警告なしにあたしの肌を切り裂いた。

「い、痛い! 痛ぁい!」

 大声で助けを求めるような私の叫びを無視して、親父は……この男は、あたしの背中を切り刻み続けた。耐え難い激痛。傷口から血がしたたり落ち、ベッドを汚し始めた。しばらくして激痛がやんだかと思うと、背中一面に奇妙な液体をかけられ、傷口が焼き焦げるかのような灼熱の熱さに曝された。あたしは飛ぶような刺激に圧され、背筋を限界まで反らせた。
 この痛み……いつまで続くのだろう。親父は、なぜいつもこんな事を……。

「……なんで……こんなことするの? ……こんなことに……なんの意味があるの?」

 肺から絞り出すように出すいつもの問いかけ。しかし、この男がそれに答えることは一度たりとてなかった。
 その答えのかわりに、次の激痛が背中の中心を襲った。鋭い刃物で背筋の中心を刺され、あまりの激痛にあたしは意識を失った。


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