闇に染まったアスファルトの地面から、背広姿の男達が這い出てきた。着衣は乱れ、男達の着ているシャツが血に染まっているのを見て、ロックは戦慄した。こいつら……人間だろうが……何者かに操られている?
五人の男達は立ち上がると、奇声を上げてロックに向かってきた。
「いいぜ……やってやろうじゃねえか!」
男達のうち、もっとも大柄な一人が、ロックに飛びかかった。
「しゃらくせぇ!」
ロックは渾身の力を込めて、飛びかかってきた男の腹を思い切りぶん殴る。
『ガァァァ!』
あまりの力に、吹っ飛ばされる大男。その後ろにいた別の男にもぶつかり、二人もろとも、十メートルほど後方に吹っ飛んでいった。
「次! どいつだ!」
残った三人の男達のうち二人が、頭を低くし、そのままタックルして両側から突っ込んできた。
ロックは、思い切りぶつかってきた二人の勢いを易々と止めると、二人の首根っこをそれぞれ両手でわしづかみ、二人の頭を思い切り地面に打ち付けた。男たちはたまらず、そのまま突っ伏してぴくぴくと体をけいれんさせると、やがて動かなくなった。
最後の一人が、懐からナイフを抜いて立ち向かってきた。ナイフを両手で握るとそれを思い切り突き出し、ロックの胸部めがけて突っ込んでくる。食らえば致命傷だ。
しかし、ロックは余裕の笑みを浮かべていた。
「それで、本気だしてんのかよ? おまえ」
ロックはもの凄い勢いで突き出されたナイフの刃を片手で掴むと、それだけでナイフの勢いを止めてしまった。男はナイフをロックの手からはぎ取ろうと必死にもがいている。だが、ロックに掴まれたナイフはびくともしない。
「そんなに欲しいなら、返してやるよ。ほら!」
ロックはナイフの刃を掴んだ右手を思い切り上に持ち上げ、男からナイフを取り上げると、ナイフの柄の部分を男の首後ろに思い切り叩き込んだ。男は大きく息を吐きだすと、そのまま力なく倒れ込む。
敵は全滅した。ものの、三十秒もかかっていない、ロックの完封勝ちだった。
「さぁて……出てこいよ。黒幕ども!」
ロックは、十メートルほど向こうのアスファルトの地面に向かって、声を掛けた。気配を感じるのだ。悪しき者達の気配を……。
「フフフ……少しは、やるようだな。守護天使ロック」
闇に染まったアスファルトの地面から、二人の影が現れた。一人は大柄な男の姿。もう一人は華奢な体型をした少女の姿だった。
二人は自分らにかかっていた闇のベールを振り払うと、丁寧に礼をした。
「自己紹介しよう。私はルガールという。隣にいるのは……」
「グレイよ。よろしく、犬のロック……」
ロックは腰をかがめ、臨戦態勢を取った。一目で分かる……今までの奴らとは格が違う。
「呪詛悪魔か……一体なにしにきやがった。てめーらに恨まれるようなことはした覚えねーぞ」
「フフ……お前の主人に興味があってな」
「なにぃ!? フザけんな! 勝手な真似はさせねえぞ!」
「なら止めてみることだな。今ここで……私を倒してみろ。守護天使ロック」
ルガールは、腕を回して筋肉を慣らし、両腕に力こぶをつくってロックを挑発した。
冷静になるんだ……奴の挑発に乗るな。さっきから怒ってはいたが、言葉とは裏腹に、意外にもロックは冷静でもあった。敵対者の力量が相当高いことを見抜いてのことだ。下手に戦えばやられる。そう読んでのことだった。ロックは注意深く、ルガールという呪詛悪魔を観察する。
呪詛悪魔ルガール。彫りの深い目鼻立ち、口髭を生やした面構え。一見すればまるで西洋貴族のようだが、その優雅さは首から上までで終わっている。筋肉の固まりとでも形容すべき、強靱な肉体。身に纏ったコートは隆起した肉で不気味な程膨れていて、それはある種猛獣が人間の皮を被った様な印象がある。
おそらく、奴は自分と同じパワーファイターか……ロックはどう戦うべきか考えあぐねていた。
「どうした? 来ないならこちらからいくぞ」
いつまで考えていても仕方がない。ロックは腹を決めた。
「いくぜおらぁぁぁ!」
二人は一瞬間に接近した。激しい殴打、拳同士が次々にぶつかり合う。ロックとルガールはほぼ同じ速さで自らの拳を繰り出していた。
「やるな、守護天使よ!」
激しい拳の応酬の末、二人は両手を互いに組み、純粋な力の押し合いになった。二人の筋肉が膨張し、組まれた互いの手は渾身の力に震えている。二人のパワーはほぼ互角だった。しばらく続く拮抗状態。突然、ルガールが鋭い蹴りを放ち、ロックの腹を撃った。ロックは苦痛に顔を歪め、思わず後方へ飛び退く。
ルガールは即座に追撃してきた。飛び退いたロックに突進し、大きく跳び蹴りを見舞う。ロックは何とか体勢を立て直すと、左腕でその蹴りをそらし、反撃の右拳をルガールの顔面に打ち込む。しかし、対する呪詛悪魔は寸前でそれをガードしてしまった。そして、不安定な体勢を瞬時に立て直すと、体を捻って再び鋭い蹴りをロックの胸と腹に、何発も打ち入れてきた。
「ぐぅ! くそっ!」
ルガールの強力な蹴りは全て命中し、ロックの肺から思わず息が漏れる。この呪詛悪魔の強みは強力な腕力だけでなく、足技にあるようだ。このままでは分が悪い。足技を封じねば……。
「おらぁ!」
ルガールが繰り出す七発目の蹴りを、ロックは両手で受け止めた。重い衝撃がロックの手をしびれさせる。ロックは痛みに顔を歪めたまま、思い切り、掴んだ相手の脚を自分の側に引っ張った。ルガールは前につんのめり、体勢を崩した。ロックはこのチャンスを逃さなかった。近づいてきたルガールの顔を、ロックは思い切り頭突きして突き飛ばした。
「グゥ!」
ルガールは顔を手で押さえると、後退して体勢を立て直した。
「フン、なかなかやるではないか」
賞賛の言葉を送るルガール。しかし、見たところ頭突きの効果は大してなさそうだ。ルガールの顔をみると傷一つついていない。対するロックは腹と胸に、大分ダメージがたまっている。ロックは覚悟した。こうなったら、切り札を出すしかない。
「けっ、余裕かましてられるのもいまのうちだぜ。次はお前を倒す!」
ロックは相手めがけて突進した。ルガールは腰を落とし、迎え撃とうと構える。二人の距離が数メートルの間まで縮まったとき、ロックの片手にある変化がおきた。
ロックの手のひらに、紫色に輝く光の玉が生じていた。その光球は瞬く間に大きくなり、サッカーボールほどの大きさにまで成長すると、ロックはそれをルガールの脳天めがけて振り下ろした。対するルガールは両腕で頭をガードする。しかし……。
「ぐぅぅぅ! なんだと!?」
ロックの光球は鈍い光を放つと、その場の空気を震わせ、目に見えない強力な力場をその場に展開した。その力場の中に居たルガールは、頭上からかかってくる未知のエネルギーに押され、頭を守っていた両腕を思わず振り落とした。
抗えない……。途方もない力の差に負けを悟ったルガールは、とっさに頭を後ろにそらし、力場から頭を逃がした。
次の瞬間、それはおきた。
ルガールの両腕は、見えない力によってすさまじい轟音と共に地面に叩き付けられた。ルガールは両腕に引っ張られて体勢を崩し、前のめりに倒れこむ。
「ぐおぉぉぉぉおぉ!?」
ルガールが苦痛のうめきを上げた。見ると、ルガールの両腕は骨が粉々に砕け、鮮血をまき散らし、ロックが生み出した見えない力によってぺしゃんこに潰れていた。
「これは……まさか……!?」
ロックは追撃した。再び手のひらに光球を生み出すと、ルガールの這いつくばっている地面めがけて振り下ろす。しかし、ルガールは瞬時に体勢を戻し、後ろに飛び退いた。
轟音がとどろく。ロックが放った光球は地面に叩き付けられると、アスファルトを砕き、地面に大人一人が埋まろうかというほどの大穴を開けていた。
わずかの静寂……。体勢を立て直したルガールは、ぐちゃぐちゃに潰れた自身の両腕を眺めると、不意に笑い始めた。
「フハハハハハハ……! これは驚いたぞ……『重力』を操る力とは……とんだ掘り出し物だな! なぁ、グレイ」
傍らで見ていたもう一人の呪詛悪魔に、ルガールは声を掛けた。一方の呪詛悪魔グレイは、応じるようにクスクスと笑う。
「ええ……面白そう。欲しいわ……それ」
ロックは、笑っている二人の呪詛悪魔を挑発した。
「形勢逆転だな。次はお前の脳天を潰してやる。覚悟しやがれ」
対するルガールは、攻撃のかなめとなる両腕を潰されたにもかかわらず、余裕の笑みを浮かべている。
「形勢逆転だと……? 残念だが、それは違うな」
ルガールは、潰された両腕を高らかに頭上に掲げると、全身に力を込めた。
次の瞬間、驚くべきことがおきた。
ぐちゃぐちゃに潰れ、よじれたルガールの両腕が、ゴキゴキと音をたてながら形を整え始め、元のまっすぐとした腕の形に戻っていく。
「なん……だとぉ!?」
ぺしゃんこだった手は、その内側から血が巡りだし赤く充血すると、むくむくと膨れて元の手の厚さを取り戻していく。
ものの十数秒で、ルガールの腕と手は完全に元通りになっていた。
それを目の当たりにしたロックは、驚きを隠せない。
「再生能力かよ……けっ、面倒な能力使いやがって……」
だがロックは怯むことなく、両腕の拳を互いに打ち鳴らした。
「いいぜ、こうなったら再生できないように体丸ごと押し潰してやらぁ!」
今度は両手で二つの重力球を発生させ、再びロックが突っ込んでいく。二つの重力球を合わせれば、その威力は絶大……。敵を丸ごと潰すことだってできるだろう。ロックは両腕を横に開き、ルガールに接近した。最初に撃つのは右手か左手か……第一撃で敵の体勢を崩し、二撃目でとどめを刺すつもりだ。
しかし、意外な横やりがそれを阻んだ。
「ルガール、右から来るわ」
(なにっ!?)
それまで戦いを傍観していた呪詛悪魔グレイが、介入してきた。仲間の助言を受けて、ルガールはロックの懐に飛び込むと、左拳でロックの右の二の腕を思い切り打ち、右の重力球を吹き飛ばしてしまった。ロックの手から離れた重力球は近くの民家の塀に当たり、塀をばらばらに崩壊させる。
ロックの切り札の一つは消えた。ルガールは、体勢を立て直す暇を与えず、膝蹴りでロックのみぞおちを強打する。体の奥まで走るあまりの激痛に、ロックの動きは止まってしまった。
「ぐっ……! ちくしょぉおおお!」
「もう片方の重力球が来るわ」
ロックの苦し紛れの次の行動は、グレイの言葉どおりだった……。無事だった左手の重力球をルガールに浴びせようとするが、ルガールは渾身の力でロックのあごを思い切り殴り上げる。
「あがっ!」
あまりの衝撃で、ロックの力の制御が途切れたのか、残っていたもう片方の重力球は力を失い、消えていってしまった。
(あのグレイって奴……俺の思考を読んでいる!?)
ロックは混乱する頭の中で、グレイの能力に驚愕していた。
「次は体当たりしてくるわよ」
至近距離からの捨て身の体当たりを、助言を受けたルガールは易々とかわした。行き過ぎたロックの背に、ルガールの蹴りが突き刺さる。ロックは十メートルほど吹っ飛ばされ、地べたを何度も転がると、倒れ込んで動かなくなった。