髪の毛を度々煽る程だった風が、何故か今は不気味なほどに収まっている。
暗い夜道を、再びティコは走り抜けた。今度ばかりは小走り程度ではない。ほとんど全速力に近かった。暗闇での探索は絶望的に近い。だがティコはアパートで、一つの手がかりを見つけた。
寒気を覚えるほどのシンクロニシティ。2日ぶりの怪メールだ。
『真純に気をつけろ』
差出人不明。空白のメールアドレス。罠かも知れない……。だが、今は主人がアパートに残したこの携帯電話だけが、ティコが唯一手にする事のできた、最後の望みの綱だった。
真純の一体何に気をつけろと言うのか……。メッセージに隠された意味は分からないが、少なくとも美月は、これを見て真純の所へ向かったとみて間違いない。無論、全力疾走する彼の行き先は件の藤原真純宅である。
ロックに連絡をとっている暇は無いと、ティコは考えた。そんな事をしている間にもし彼女に何かあったら……。姿さえ見失わなければ、自分一人で守りきれる自信は十分あった。だが、それはやはり彼に無意識にまとわりついていた、一種の慢心だったのかもしれない。
「誰です、あなた達は……」
いつの間にか、辺りは月明かりすら無くなり、完全な闇黒が支配している。
ティコは囲まれていた。
柄の悪そうな、十を超える数のごろつき達……、冷静さを保とうとしたティコだが、わずかな残光に照らされた、男達の血みどろに汚れた半身を見せつけられ、彼は戦慄した。ごろつき共の目は焦点があわず白目を剥いて、正気の気配は微塵も感じられない。
「くっ!」
一斉に繰り出された拳を全てかわし、一人の男の頭蓋を蹴り上げて、敵陣から逃れた。だが、彼に牙を向けるのはこの連中だけではない。
「シャアアアアアアアアアアア!!」
不気味に長い、黒々とした腕から延びた手刀が、それまで居たティコの着地点を確実にえぐり取った。姿を視認できなかったティコを辛うじて動かしたのは、その存在の発した奇声があった為に他ならない。
体勢を立て直したティコが目にしたのは、それまで彼が一度も相手にしたことのない、『異質』の固まりだった。日常を歪曲させる根源たる根源が、ついに姿を現したのだ。
「化け物……」
ティコに襲いかかった存在は、そう呼ぶに相応しい、醜い醜い悪魔だった。
まるで、ティコの精神の混乱をそのまま映し出しているかの様な……。
もう一度言おう。
あらゆる絶望に唯一立ち向かえる時間……それは今、現在において他に無い。