P.E.T.S[AS]

第5話「温泉旅行」

「へえ、羽崎家を見に行ってたんですか」

涼しい風が耳元を通りすぎる。耳にぶつかって聞こえるその風の音に、さっきの場所よりは大人しくなったものの、鈴虫なのかコオロギなのか分からないが、虫たちが奏でる音楽が混じってくる。夜空を見上げればきらきらと輝く秋の星座。先程の陰惨な場所から離れ、見慣れた平々凡々な民家が建ち並ぶ道路を歩いていたが、雰囲気としては悪くない。

私「うん。昔を思い出しちゃって……」

よくよく考えてみれば、ティコやロックも連れてくれば良かった。同じ『時』を共有した者としていろいろ思い出話をしながら、一人で見るよりももっと楽しめたかもしれない。道に迷って恐い思いをする事も無かっただろうし……。

ティコ「懐かしいですね。あの頃のご主人様は、本当に小さかった」

ティコはちゃんと覚えてくれていた。初めて会った時も、私の膝の上がお気に入りだった事も……。二人の中で、あの頃共に過ごした時間は今でもちゃんと存在していた……。

私「ティコ、カッコ良かったなぁ……。すっごい体が細くって、しっぽも長いの!
  最初見たときビックリしちゃった」
ティコ「私も初めはびっくりしましたよ。祐一の部屋に年端もいかない女の子が突然入ってきて。てっきり、急に彼に妹ができたんじゃないかって思いました」

そう笑いながら、ティコは私の顔を見つめている。そんな彼の蒼い眼を見ると、ふいに彼が何もかも見通している、全知全能の存在のような気がした。

私「ユーイチお兄ちゃん、カッコ良かったよね。今のティコみたいに」
ティコ「姿が……同じですからね……」

何故か落胆したような声で相づちを打つ。今思えば単なる気のせいではないのかもしれない。ユーイチお兄ちゃんは確か、ティコの道案内で私の家にやってきたと言っていた。単なる冗談だったのかもしれない。それでもティコは何処か普通の猫と違っていた気がする。シャム猫という珍しい品種だからか、それとも守護天使になる運命だったからなのか……。もっとも、ユーイチお兄ちゃんもなんというか、世俗から離れたような雰囲気はあったが……。

私「ねえ、守護天使のことについて、聞かせてくれない?」
ティコ「守護天使について、ですか?」
私「うん。たとえばだよ、私の元に帰ってくるまで、どこにいたのか……とか」

質問を受けたティコは夜空を見上げて、じっと目を閉じた。何を想っていたのか……しばらくすると私の方に向き直り、ゆっくりと話し始めた。

ティコ「私たちが前世の命を終えると……しつじの世界という所へ向かいます」
私「しつじの世界?」
ティコ「ええ。そこでは主人に大事にされていた雄の動物たちが、再び人間界へ転生して主人に恩返しをするために必要な、あらゆる修行をするのです」

説明を続けるティコは、何処かとても楽しそうな目をしていた。しつじの世界では女人禁制だという事。守護天使達には階級がある事。そしてみんな何か一つトラウマをもっている事。

私「ティコにもトラウマって、あるの?」
ティコ「ええ、大きな物に押しつぶされたり、狭い所に押し込められるのが、恐いですね」

なんかぴんと来ない感じがしたが、それでも私にとっては意外だった。いつだって完璧に見えるティコにも、苦手な物があったんだ……。
他にも、メガミ様という偉い人がいる事や、めいどの世界という女性の守護天使だけの世界もあるという事も話してくれた。そして彼女たちの制服がいわゆるメイドさんが着る服だと聞いて、思わず私は吹き出してしまった。

私「へえ〜。メイドと冥土をかけて、めいどの世界なんだ。なんだか面白いね」

くすくすと笑う私に対して、ティコは前の方をずっと凝視していた。目の前の景色を見通して、もっと最果ての場所を見つめているような気がした。そこに以前彼が居た場所があるかのように。

ティコ「懐かしいですね。あそこでは志を同じくする仲間達がたくさんいたんです。
    みんなで同じ寮に暮らして……。毎日が楽しかった。彼らは、今元気でやっているかなあ……」
私「エイジさんとも一緒に暮らしてたの?」
ティコ「ええ、そうです。一緒に修行に励んでいました。ああ、そうだ。後でエイジさんに、他の仲間が今どうしているか、聞いてみよう」
私「うん。それがいいね♪」

いつの間にか、旅館のすぐ近くまで来ていた。民家の屋根越しに、橙色の照明に照らされた看板が見える。
それまで感慨に浸っていたティコが、ふと足を止めた。

ティコ「ロックですよ」

地鳴りが聞こえてきて、私もようやく気が付いた。前方の道路から現れたロックが、猛スピードでこちらにやってくる。

ロック「美月ぃぃぃぃぃぃぃ!!」

今までにない位速かった。避けられないと思ったが、なぜかロックの突進は私の横を通り過ぎていった。コンクリートをぶっ叩く轟音が後に続く。

ティコ「全く進歩が見られませんねぇ。突進は止めなさいとあれほど……」
ロック「てえ〜〜めえええ〜〜!! 美月担いで何やってんだ!
    気安く美月に触りやがって! さっさとその手離せ! はやあああああく!」
ティコ「だってこうやって避けないとご主人様が潰されちゃうでしょう。
    私はご主人様をお守りしただけです」
ロック「ああああああ〜〜〜〜っていうか俺悪者すか? 悪者すか?
    美月ぃ! コイツに何か言ってやってくれ!」
私「あ……えっと……ティコ、もう大丈夫だから……。ロックも探してくれてありがと。嬉しいよ」

いつも通りの喧噪が戻ってきて、私は本当に息を付くことができた。私が居るべき場所にようやく戻って来れた気がする。
雑木林でのあのハプニングは忘れてしまおう。二人のやりとりを見てそう思った。これからもこんなにぎやかな、今まで通りの関係を続けることを望むのならば……。


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