先ほどからずっと、かすみちゃんは天使が飾られている戸棚から決して離れようとしなかった。
かすみ「すごいです……みんなとても可愛い……」
真純「そんなに喜んでくれると、こっちとしても作り甲斐があるってもんね。」
その愛らしい容姿だけでなく、天使達を隅から隅まで観察しては驚きの声を上げるこの少女を、先生はいたく気に入ったようだ。彼女のおかっぱ頭の上に両手をおいて、先生は言った。
真純「そんなに気に入ったんなら、どれか好きなの一つ、持って帰っていいわ」
かすみ「え!?本当ですか?」
真純「うん、どうせこの子たちは売り物じゃないし」
先生のこの気前よさ。私の給与に対してもぜひ振るってもらいたいものだけど……。
かすみ「ありがとうございます!」
かすみちゃんは目を輝かせて先生に向き直り、よいさの時のようにペコリと頭を下げた。従業員の制服なので、接客の挨拶とちょっと見間違えてしまう。
従順そうな態度がさらに彼女の愛らしさを引き立たせ、先生は今にも両腕を伸ばして抱きつきそうだ。
壊れないでください……頼むから……。
危なげな二人の様子を傍観し、私はふと戸棚の天使達を見た。白衣に包まれ安らかにこちらを微笑む数十人余の天使がそこに居る。
彼女、どれを選ぶだろうか。
ふと、棚の最下段の左端に、埃が積もってやや透明感を失っている四角いプラスチックケースがあるのを発見した。注意して中を伺うと、天使とは遠くかけ離れた造形をしている、何かが入っていた。
なにやら、人型とは違う……動物のような……何かが……。
真純「どれにする?なんでもお好きなものをどお〜ぞ☆」
嬉々として戸棚を見渡すかすみちゃんに、私が注目しているものと同一のものが視界に映ったようだ。
かすみ「あの……これは、天使じゃないんですか?」
不思議そうにケースをのぞき込んで、私と同じ疑問を口にした。
かすみちゃんが指さすケースを認めると、先生はきょとんとした顔をして、しばらく何か考え込んでいた。
……しばしの沈黙……。
真純「忘れた」
首後ろに手を当てて、首をひねる先生。私も初めて見たが、今の今まで、誰にも気づかれずにずっとそこに放置されていたのだろうか。
かすみ「なんだか……変な形してる……」
私も近づいて、プラスチックの壁の奥に佇む物体を眺めてみた。
???
なにやら、形容しがたい……。
全体的には…………それは人の姿をしていた。しかし初め、それを人と認識できなかったのは、まずそれが四つんばいになっていたためだった。そしてそれを人と認める事をより困難にする特徴が幾つか……。
その『人』の腕は猿のように長く、さらにその太さは猿は猿でもまるでゴリラだ。そして異常に幅が広く分厚い胸板も、人間の常識の範囲を越えている。
数ある、『それ』を異形たらしめる特徴の中でも、一番目立っているのは顔だった。
それは、明らかに人の顔ではなかった。
言うなれば獣。それもライオンのような狩猟動物の顔をしており、その鋭い目はまるで眼前の敵を強く威嚇しているかのようだ。
この工房の雰囲気に花を添えている白衣の天使達から身を隠すように、埃で濁ったプラスチックケースの中でそれはひっそりと鎮座していた。
真純「ああ、思い出したわ……それ、私の親父が作った奴」
ポン、と手を打って先生がその場の沈黙を破ってしゃべり出した。
真純「なんかアイツ、たまにワケわかんないもん作ってたのよね〜、かすみちゃん。こんなの気にしないで☆ あ、そうだ!この子なんてどうかな☆」
早口にまくし立て、先生は手近の棚から綺麗な花束を持って微笑んでいる女の子の天使を手に取り、かすみちゃんに見せた。
かすみ「わあ〜。すごい……かわいいです〜」
目を輝かせながら先生から天使の女の子を受け取ると、それをまじまじと見つめ、大事そうに自分の物になった天使の頭を優しく撫でた。
かすみ「ありがとうございます!」
真純「なんのなんのぉ☆ お〜ほっほっほ☆」
尊敬の眼差しで自分を見上げるこの少女に、先生は両腕を組んで高笑いした。
かすみ「嬉しいです……ほんとに…………さっきまで私……すごい落ち込んじゃってて……でも……なんだか、元気が出ました」
真純「ん? 落ち込んでた?」
高笑いを止め、まじまじとかすみちゃんの顔を見つめる先生。
私「先生のせいですよ」
これまでのいきさつをどう説明すればよいか迷いながらも、そう遠くない昔に少女の口から出たとんでもない誤解の原因に向かって、私は口を開いた。