街の商店街の一角に構えている小さなソバ屋「よいさ」は今日もその敷地面積からは考えられないほどの多くの人々が来店していた。
だがそれも2時頃を過ぎるとようやく店内にも空席が目立ってきて、私たち従業員の仕事量も相応に落ち着いてくる。テーブルを拭く手を休めると、ご主人様が工房で仕事をしている姿が漠然と頭をよぎった。
ご主人様は結局、あの後しぶしぶ先生の後に続いて仕事場へ向かっていった。まあ、あれは腹が立って当然でしょうけど、踏ん張りどころですよ。ご主人様。
「二人とも、今日もご苦労さん。そろそろお客さんも少なくなってきたから、どっちかお昼にしていいわ」
女将さんが厨房から出てきた。
大きめな身体にエプロン、頭には三角巾をつけ、額に汗を浮かべながらもにこやかに微笑む彼女の姿は、典型的な「おふくろさん」といった印象だ。この店がここまでやってこれたのは、彼女のスタミナとその楽観的な笑顔の賜物だろう。
「ありがとうございます。ロック、どうします?」
ロック「俺昼飯食うわ。それじゃおばさん、ゴチになるっす!」
両手をふさいでいるたくさんの食器を乗せたお盆を軽々と運びながら、ロックは厨房へと入っていった。
「あ、あの……ティコさん。こんにちは」
後ろから細く小さな声が聞こえた。振り向くと、女将さんの最愛の一人娘がこの店の従業員の制服を着て立っていた。
ゆったりとした明るめの紫を基調とする彼女の着物には満遍なく白の花柄模様が散りばめられており、さらにかわいいフリルのついたエプロンを前に掛けるその姿は、まるで大正時代の料亭で働く女給さんを彷彿とさせる。
「やあ、かすみちゃん。もう風邪は治ったのかい?」
かすみ「は、はい!えっと、昨日はご免なさい。私の分まで働かせてしまって……・」
俯き加減にたどたどしく話す、彼女の可愛らしいおかっぱ髪が、かすかに揺れる。
そんなにかしこまって話されるとこちらも応対に困るのだが、初めて私たちがバイトに来てからもう2週間が経過するというのに、彼女は相変わらずこんな調子だった。まあ、元々真面目なせいもあるのだろうが……。
「気にしないでいいよ。それより、もう仕事に出て大丈夫?」
かすみ「はい!平気です!布団の中でじっとしているのって、とっても退屈ですし……それにその……この仕事が、大好きですから……」
彼女は初めて顔を上げて、気丈な明るい笑顔を見せた。
顔色も良さそうだし、これなら本当に大丈夫そうだ。
「こんにちは〜☆」
聞き覚えのある女性の声が、店ののれんを通り過ぎて耳に入ってきた。
かすみ「あ、いらっしゃいませ」
のれんを手で持ち上げて入ってきたその人は……私が実によく知っている人物だった。
その女性を見て、かすみちゃんが小さく息を呑んだ音が聞こえてきた。そして、彼女がかろうじて聞き取れるくらいの声で、「綺麗なひと……」とつぶやいたのも……。
真純「キャ〜☆ ティコ君み〜〜〜〜っけ☆」
その美貌からは到底考えられないような甘えた声を出して、私に向かってきた。
お願いですから……子供の夢まで壊さないでやってください……。
「ダメですよ先生、仕事場以外で壊れちゃ」
彼女の後に続いて、我らのご主人様がやってきた。
「姉さん、いらっしゃいませ」
美月「うん☆」
ご主人様が、少し恥ずかし気な表情を見せて微笑んだ。確かに、なんだか照れますね。お互い。
かすみ「ティコさん……お、お知り合いなんですか?」
かすみちゃんが私とご主人様の横から、おそるおそる口を挟んできた。お盆を両手で抱きかかえて身をわずかに縮こませ、私とご主人様双方に、交互に視線を配っている。
美月「あ、その〜。ウチのいとこ二人がいつもお世話になっております」
ご主人様が、年下の可愛らしい女の子に向かってぺこんと頭を下げた。
かすみ「えっ?あ、あのっ……あううぅ……こちらこそ……よろしくお願いしますっ!」
ご主人様の物腰丁寧な挨拶に反応して、かすみちゃんも大きく頭を下げて答えた。
店先の玄関で見慣れない長髪の女性とこの店の小さな看板娘が、互いに頭を下げて敬礼している光景。他の常連客からはさぞかし好奇の目で見られているに違いない。
私は思わず吹き出しそうになるのを堪えながら、二人とその隣で笑い転げながら成り行きを見ている美人女流芸術家を空いているテーブルの席へと案内した。