P.E.T.S[AS]

第3話「麗しの巨匠」

昼食を終えて、先生は再びスケッチブックへ向かっている。
鉛筆を走らせどんどん書き足していき、天使のデザインが次第にできあがっていく。
先生のさっきとはうってかわった真剣な表情からは、少しの妥協も許さぬという信念が伝わってくる。仕事をそっちのけにして遊ぶ時もあれば、こうして一心不乱に仕事に打ち込む時もある。ここまで意識の切り替えが早いのもプロのなせる技なのだろうか。
一方の私はお昼を食べたせいで眠くてしかたなかったりするのだが……。

先生の隣から、スケッチブックを覗いてみる。
そこにはかわいい男の子の天使が描かれていた。さらさらの髪にまんまるの目、背中には小振りの翼を生やしている。こちらに向かってにっこり微笑んでいる。

私「凄いですね。先生……」
真純「……」

先生は何も答えなかった。じっと自分で描いた天使と向き合っている。まるで彼女にとって、その天使と自分以外は存在しないかのように……。

真純「……うん……」

私の言葉に応えたのか、それとも天使との会話で相づちを打っていたのか、それは分からなかった。もっとも後者なら、それはそれで人間離れしているというか、それこそが巨匠たるゆえんであるのか……。

巨匠と言えば、彼女の父親も、高名な芸術家だった。
藤原 哲。
彼はもうこの世には居ないが、当時の彼の評判を一言でいうとなると……。

「鬼才」

彼の分野は主に彫刻で真純先生とは少し分野が違うが、いずれにしても当時彼の作品はそれまでの業界の常識をうち破る物ばかりだった。
彼の作品のテーマは「成長」。
成長と言っても只単に身体がすくすくと育つ成長ではない。
叫ぶほどの精神的苦痛を乗り越え、自立していくという若者の精神的成長過程を、斬新に彫刻で表現するのである。

先生に一度写真を見せてもらった。
それにあった青年の苦痛に歪む顔。だが大地には足をしっかりとつけて、何かを打ち破ろうとするかの様に拳を振り上げている。
挫折と復活。その二つの状態を一つの彫刻の形に凝縮する。
彼の作品の凄さはそこにあった。
ただ、たまに天使の彫刻を作ったときもあったらしいが……。

私「あの……先生、先生のお父さんって、どんな人だったんですか?」
真純「え?」

先生は珍しくとまどいの表情を見せたが、しかしすぐにいつもの顔に戻って言った。

真純「ろくでもない奴だったわね」

冷たくそう言い放つと、先生はスケッチブックから顔を上げて、鉛筆をテーブルに放り出した。鉛筆はころころと転がり、置いてあった塗料の缶にぶつかって止まった。

真純「ま、芸術家としては尊敬するけどね」
私「お父さんのこと、お嫌いだったんですか?」

さっきから気になっていた質問をついに投げかけてしまった。

真純「どうしてそんな事聞くわけ?」

先生が逆に切り返してきた。落ち着いた表情を崩さないところを見ると、別に気を悪くしたというのではなく、純粋にそれが気になったらしい。
そう聞かれると逆に私の方が困ってしまった。

私「いえ、その……なんでだろ……。わからないです。なんとなく……」

しばらく二人とも黙っていた。
……

真純「ねえ、美月。天使ってさ、本当はどんなんだと思う?」

先生が工房に満ちた沈黙をうち破る。先生は椅子の背もたれの方を前にして座り直し、両腕をその上において言った。

私「天使が……ですか?」

私にとって、その先生の問いは奇異に感じられた。だっていつも天使を作っているこの人ならば、天使について何もかも知り尽くしているだろうと、普通は思う。

真純「まさか、私が作ってるこんな可愛らしいもんが天使だと思ってるんじゃないでしょうね」
私「違うんですか?」

先生は苦笑いしながらまるで子供をたしなめるように言った。

真純「私が作ってるのはあくまでおとぎ話のような夢の天使よ。もちろんそういうふうにのっている文献もあるけど。本当は歴史的にはもっと違った色々な形で描かれているわ」

開いたままのスケッチブックを見てみる。この男の子の天使の姿は、本当の天使の姿ではないというのだろうか。

真純「天使ってね、時には人間にとって怖い存在でもあるのよ」
私「へえ……」
真純「彼らは秩序と平和を司る神の使い……。その神の計画に逆らうのものはたとえ悪魔であろうと人間であろうと徹底的に排除する……」

ティコとロックもそうなのだろうか……まさかね……。

真純「そして敬謙な天使達の中にも堕落してしまう者がいるの。彼らは神に背き、神の国から追放され、いわゆる悪魔と呼ばれるものに……」

なんだか……眠くなってきた。
瞼がとても重い。しだいに先生の姿が霞んでいく。まるで何か見えない存在に眠気を注入されているみたいだ。先生の天使の話はなおも続いている様だが、その声もどんどん遠のいていく。
この世界から私の意識が消えていく。
不思議だ。瞼が完全に閉じたというのに、なぜ視界は明るいのだろう。
今朝と同じ……。

あの無数の光達が、私を迎えていた。


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