「そういえば、名前を聞いていないよね」
私とお兄ちゃんが初めて会った日の夕方。
たまたま帰る道が同じだったから、商店街を一緒に帰っていたときに、お兄ちゃんがこんなことを聞いてきた。
「まだ言っていなかったっけ?」
「うん。いろいろあって、まだ聞いていないよ」
「じゃあ、1度しか言わないから、よく聞いてね」
私はお兄ちゃんの前に立って、後ろに両手を組んで、多分、すごいいい笑顔でこう言った。
「私は、平野桃華。小学3年生だよ」
あまりにも普通の自己紹介かもしれなかったけど、でも、最高の自己紹介だったと思う。
「桃華ちゃんか。サルのモモちゃんと一緒の名前だね」
「うん。だって、その方がたくさん好きになれるでしょう?」
自分を好きなれるのと、モモちゃんを好きになれるのとが入り混じっていた。
私は、人前で話すのがあまり得意じゃなかった。
恥ずかしいのもあったけど、それ以上に他人が嫌いだった。
親は私に自分たちのメンツのために勉強ばかりさせていたし、それ以外の人は全然優しくしてくれなかった。
同世代の中でも、かなり浮いていたと思う。
そんな中でのモモちゃんとの出会いは、私を変えるきっかけになるかも知れないと思ったから、そういう思いで名前から取った。
でも、そのときの私は気がついていなかった。
他の人にはまともに話せない私が、初めて出会ったお兄ちゃんに、普通に話していることに。
「桃華ちゃんとモモちゃん、か。じゃあ、僕は2人のモモちゃんと一緒にいることになるのか」
「そうだよ。お兄ちゃん、幸せ者だよ!」
お兄ちゃんの手を取って、人懐こい笑顔を見せる。
「改めて、よろしくね、お兄ちゃん!」
楽しくて、ちょっと心地良い日々の始まりを告げた。