盛夏の祝福

「ただいま〜」
「おかえりなさい、ご主人さま!」
「ただいま、みさき」

ぱたぱたとスリッパを鳴らして、拾われた子犬のようにうれしげに走ってくるみさきに、
仕事で疲れた笑顔を向けながらもう一度挨拶し、清水は靴を脱ぐ。

「おつかれ……みたいですね」

清水のほんのちょっとの表情も見逃さず、みさきは心配そうに尋ねる。
そんなみさきの頭を、玄関からあがりながら撫で、清水は笑う。

「大丈夫だよ。それに……」

それに、みさきがやってきてからの一ヶ月、妻を亡くしたときのような「家の広さ」を感じることがなくなった。
みさきの存在と明るさが、家の隅々にまで満たされているようだ。

「それに、なんですか?」
「いや、なんでもない。それよりなんだその格好は。着替える時間もなかったのか?」

撫でる手を離すと清水は、少しあきれたような声を出した。
みさきは、ブレザーは脱いではいるが、学校の制服を着たままエプロンをしていたのだ。

「もしそうだったら、急がなくていいからまず着がえて……」
「いえ、そうじゃないんです。その、男の人ってこういうのも好きだって悠里ちゃんが言ってたんでやってみたんです。どうですか?」

くるりと回って全身を見せるみさきが挙げた名は、彼女の通う女子高のクラスメートの名前である。
みさきにとってははじめての人間の友だちでもあるが、
人間界に疎い(うとい)ところのあるみさきは、あまり深く考えずに彼女の言うことを聞いてしまうことがあるのだ。
そのことを知っている清水は、ちょっと苦笑したがなにも言わず素直に褒めた。

「まあ悪くないんじゃないかな。かわいいよ」
「ほんとですか!? よかったあ、それじゃ毎日これにしますね!」
「いやまあ、たまにでいいから。汚れるし。それじゃメシにしようか。できてるんだろう?」

飛びつかんばかりに喜ぶみさきの背を、
これも苦笑いしながら押しつつ、清水はリビングダイニングへ向かった。

 


「あとで聞いたら、そんなに普通じゃないんですね、ああいう格好。わたし恥ずかしくなっちゃいました」
照れ笑いをするみさきを、ゴウはあたたかく見ている。

 


「緊張しました……」

はじめて清水の実家へ行き、彼の家族と会って帰って来たみさきは、
大きく息を吐きながらリビングのソファに崩れ落ちるように座った。

「はは、でも大丈夫だっただろう?」
「はい、ご主人さまのお父さまもお母さまもお兄さまも妹さまも、とってもやさしくしてくださって……ちょっと意外でした」

ぺろ、と舌を出しながら笑うみさきの頭を、ソファの背越しに清水は撫でる。
みさきの「出自」については、下請けの会社の社長が無理心中をして、
そのときにかろうじて助かった娘であり、心中未遂のショックで記憶を無くしており、
他に身寄りもないため自分が引き取ることにした、という、
あまりできのよくないシナリオを用意しておいたのだが、
知り合いの医師に頼みこんで作ってもらった偽の診断書などのおかげで信じてもらえた。
家族をだますことは清水の本意ではないが、こればかりはしかたがない。
それにもしかしたら家族は、これが嘘だと知っていた可能性もある。
しかし自分が立ちなおるためだったら、
どんなことでも受け入れようと考えていてくれたのかもしれない。

「だとすると、そんなにおれは落ち込んでたんだな……」

あるいは家族は妻を亡くした悲しみを埋めるため、
自分がみさきを「買った」とすら思っているのかもしれない。
だとすれば彼らは、むしろみさきにすまないと思っているだろう。
だからこそ、みんなみさきにやさしくしてくれたのかもしれない。

「仮定の話だけど……もしそう思われてるなら、いまは返って都合がいいか。いつか誤解はといて謝るとして……」
「ご主人さま?」

頭を撫でられながらうっとりしていたみさきが、ぽつりとつぶやく清水をすこしいぶかしげに見上げる。

「なんでもないよ。明日は学校だろう、早く寝なさい」
「はい。でもホントは明日は家中のお掃除をしたかったんですけど……」
「そんなこと言って、勝手に退学届けを出してくるなよ」

笑って、すこし強めにみさきの頭を撫でながら、清水は三手先を読んだようなことを口にした。
みさきは本当は学校へは行かず、一日中ご主人さまのために働きたいのだ。

「そ、そんなことしません! でも……」
「でもじゃない。お前そんなに学校嫌いか?」
「嫌いじゃありません、楽しいです。でもやっぱりご主人さまのお世話をもっとしたくて……」
「一日中そんなことさせてたら、おれは監禁犯になってしまうよ」

笑ってみさきの頭から手を離すと、清水は自分もソファに座ろうとまわりこんでゆく。

「ご主人さまにだったら、監禁されてもいいかも……」

そんな清水をすこし妖しい瞳で見ながら、みさきはこれもすこし危ないことを言う。
だが清水は、みさきの隣りに座りながら、その目をやわらかく受け、流すように笑う。

「そういうことを言うやつには、三日間の家事禁止と、その三日を使って部屋に監禁しての数学と物理の猛特訓を言い渡す」
「あー! ごめんなさい、ごめんなさい、言いません、言いませんから許してください、ご主人さまあ!」

それを聞いて飛び上がるように驚いたみさきは、必死で清水に謝る。

「おれにだったら監禁されてもいいんだろう?」
「そんな意地悪言わないでくださいよぉ……」

なかば本気で泣きそうなみさきを見て、清水は大きく笑った。

 

 

「毎日、楽しいようだな」
「ええ、とっても」

とりとめがなくなり、思いついたご主人さまとの生活の一シーンをいくつも語りつづけるみさき。
それを穏やかな表情でゴウは聞きつづけ、止めようとしない。
みさきの心はいま、憂いから逃れている。
それはほんのすこしの休憩にすぎないが、ゴウはその大切さを知っている。
だから止めない。


P.E.T.S & Shippo Index - オリジナルキャラ創作