シリーズ『魔狼群影』  1.ネイチャー・ガール

(少しばかり、やり過ぎかもしれないけど・・・しかたないわよね——今日はとにかく、徹底してやっとかないと・・・)

 クリムは鞭を波打たせるように手元であやつる。その波は次第に大きくなりながら先の方へと伝わり、倒れたままのアズマの身体をごろんと何回転か床の上に転がして、彼女を解放した。 
 そして、束縛はなくなったが、息も絶え絶えで、床に倒れたまま動けないでいるらしいアズマに、

「しばらく休憩」

 そう告げ、そばを離れた。

「おつかれさま」

 こちらに戻ってきたクリムに声をかけてから、セリーナは問いかけるような視線を送った。

「——毒ね?」

「正解——かなり、特殊なものだけど」

 言うと、クリムは鞭の先端を持ち、セリーナに示した。実戦用には、鞭の先のややふくらんだところから金属質の巨大な注射針状のものが飛び出ているのが常だった。ふくらんだ部分は薬だめで、相手の身体に針が突き刺さると、その先の穴から体内へと薬を注入する仕組みなのだ。だが、いま針の代わりについていたのは、短かめの丸い棒のようなものであった。これなら、切ったり刺さって傷つけることはまずないはずである。また、材質も金属ではなく、ゴムのような弾力のある物質で、打撃としてもさほどダメージを与えるものではなかった。
 だが、よく見ると、それには肉眼ではほとんど見えないほどの微少な穴がスポンジのように無数に空き、そこから透明な液体がしみ出してきているようだった。

「ちょっとさわってみて、セリーナ」

「え・・・?」

 いきなりのクリムの言葉に、セリーナは思わず警戒の色を浮かべた。

「そうすれば、どんなものかすぐわかるから——だいじょうぶ、実害はないわ。
ただし、ほんとにちょっとだけにしておいて。わたしは耐性があるんで感じないけど、ふつうの人にはかなり刺激が強いはずだから」

 言われて、セリーナをおそるおそる手を伸ばし、指先をほんの少し、ふれた。

「痛(つ)っ・・・!」

 痛いとして知覚されるより前、むしろ熱いといった方が近い感覚が瞬間に襲ってきた。わずかに遅れ、鋭い苦痛が追いかけてくる。まるで、赤く灼けた金属にさわってしまったかのようだった・・・。だが——

「・・・え?」

 反射的に手を引っ込め、指に息を吹きかけていたセリーナは目を丸くした。衝撃的なほどの痛みは吹きかけた息にとけ込んでいったかのように、ほどなくうそのように消え去ったのだった。

「——どうなってるの?」

 セリーナの疑問に、クリムは答えた。

「この薬、身体に触れると痛覚をすごく刺激はするけど、肉体の組織を破壊するわけではないの。だから、取ってしまえば、痛みも傷も残らない。そして、揮発性が強くてね、ほっておいても、すぐ蒸発してなくなってしまうわけ」
「なるほど・・・」

 それで、アズマの反応の不可解さのわけがわかった。アズマにわざわざああしたかっこうをさせた理由も——。薬が肌にじかに触れやすくするのと共に、逆に、服の布地が薬を吸って液体の状態を保っては痛みが長引いてしまうため、それを防ぐためもあるのであろう。

「だから、本来は相手の体内にはいるようにして使うの。わたしの針はもちろん、ノワールの爪やワイルドの吹き矢にしても、刺したり切ったりすることで、つけていたこの薬が体の中に残る。そうすれば、もう蒸発することもなく、痛みが当分続くということね」

「——想像したくないわね、それは・・・」

「そう、だけど、相手に実際的なダメージをあたえないんで、使い用はあるのよ、いろいろと。捕獲任務のときなんかに、相手を無傷のまま無力化するとか——あとは、まあ・・・言ってしまえば、拷問のときとか・・・」

 セリーナは黙ってうなずいた。進んでやりたいようなことではないが、フェンリルの任務にはそうしたこともしばしば必要となるのは当然のことである。

「それはともかく、あの子に関してはおととい見ていたようすから、使えるかもって試してみたんだけど・・・おもった以上に、うまくいったみたいね」  

「ええ。効果は十分だったわ」

「たとえ恐怖心は働かないとしても、体に感じる痛みへの不快感があれば、それを避けようとすることから、防衛反応を引き出すことはできる・・・。とにかく今日は、この痛みをあの子の体に刻みつけるまで、徹底的にやってみるわ」

 両手で持った鞭をピン! と張りつめさせながら、クリムは何でもない様子で不穏なことを口にする。そして、セリーナの方を見て、ふっと笑ってみせた。

「それに・・・この感じなら、この先あなたが同じようなことを続けることもできるでしょ——それもあなたなら、わざわざこんな仕掛けを使うまでもなく、ね」

 言われて、セリーナははっとした。

「あ、そこまで考えて? ・・・まいったわね。ほんとに、お礼の言葉もないわ」

 セリーナの持つ特殊能力の一つに『雷光剣』と呼ばれるものがあった。持った剣に電気を帯びさせるというものだが、それでアズマに訓練を行えば、体に触れたときの瞬間的な感電は今クリムがやっているのとほほ同様の効果があると考えられる。

「いえ、この方法考えてて、気がついてみたら、たまたまあなたの力にも合ってたというだけのことで・・・そうなったのは偶然の産物だから、そこまで感謝してくれる必要はないわ。——ただね・・・」

 軽く手を振って言ったあと、クリムはむずかしい顔になった。

「ここまでやってきて、あらためて思うことだけど・・・やっぱり、あの子はだめよ、セリーナ。前線には出せたものじゃない。これで仮に防衛反応を叩き込めるとしても、それ以前にまず、根本的な体力がなさ過ぎる。今の状態では、戦いになる前に彼女は倒れてしまう・・・ むりに戦場まで連れ出したとしても、ろくに役にもたてず、仲間の足手まといになるのがオチだわ」

「ええ、そのとおりね。よくわかってるわ・・・」

 セリーナはうなずいたが、しかし、

「それについて、いま考えてる。天神会の人たちとも相談してね——たぶん・・・何とかなるかもしれない・・・」

「そう——」

 はじめて知った話だが、それ以上詳しいことはクリムはあえて聞かなかった。それは彼女の仕事ではなかったからである。セリーナがそう言うからには、やはり上層部はアズマを前線に出す方針を変えるつもりはなさそうで、そのための方法をも模索しているようだった。とすれば、もはや彼女が口を出すことではない。
 だが同時に、今日のことはやり遂げるつもりである。こちらは自分の仕事として。

「さて・・・再開しましょうか」

 クリムはアズマの方へ向き直った。見やった少女はいまだ床にすわって休んでいるようだったが——逆に言えば、体を起こせるくらいには回復しているのだということになる。
 ——ばしんっっ!!
 いきなり鞭が床を叩き、激しい音が空気をふるわす。
 アズマはびくっとこちらを向いた。その目に生気が戻っていることをクリムは確認した。

「アズマ、続きよ! いいわね?」
「はい」

 感情はうかがえないが、すくなくも気力は感じられる返事を返して、アズマは立ちあがる。

「セリーナ——」

 そのアズマの方へ進みながら、こちらには背を向けたまま、クリムはつぶやくように言った。

「あの子のことで、もう一つわかったことがあるわ」

「え?」

「最初は、前も言ったとおり、あの子を『お人形』のようだと思ってた。記憶と感情をなくしたために、生まれたての赤ん坊のようにまっさらな心になって、自分の意思までうまく働かなくなった無垢な存在、とね——でも、どうやらそれでは正確じゃない・・・」

「——どういうこと?」

「無垢という点では、たしかにそう・・・ただ、それは人形のようにケースに閉じ込められ、外界から守られてあるものとはちがう・・・むしろ、野生の生き物のような・・・あの子の根幹は言ってみるなら、『野生』にある気がする。つまり、あの無垢さは自然のまま、ひとの手のふれなかったところにあるもの——言葉づかいとか礼儀とかていねいすぎるぐらいちゃんとしてるから、なかなかわからなかったけど」

 振り返り、こちらを見た。

「こんな言い方じゃ、抽象的すぎるわね・・・。でも、言いたいのは——今のままでは戦闘には堪えない・・・それはまちがいないとしても——あの子の本質は、決して弱くはないわ」

 セリーナは深くうなずいた。

「わたくしも、そう思う。さっき、あなたに追いつめられたときのあの子のようすを見て、感じたの。あの子には、まだ、奥がある・・・」

「——それじゃ、少しだけでも、その奥への扉を開くお手伝いをしましょうか・・・」

 クリムはそう言うと、アズマの待つ方へまっすぐ向かう。
 こちらを見る少女の目は、また元のなんの色も映し出さない無表情に戻っていたが、しかし、はっきりこちらに向いていた。クリムはその目をじっと見つめる。その中に、まだ見えないなにかを見出そうとするかのように・・・。
 セリーナに言ったとおり、徹底的にやるつもりだった。それが彼女の仕事だからである。だが、同時に、この少女が戦う運命から逃れられないものなら、その生きのびる見込みを少しでも増やすため、それが今クリムのしてやれる唯一のことだったからでもあった

 ——ひゅぅうん・・・!!

 紅い鞭が唸り、空を裂いてアズマへと飛んだ。


P.E.T.S & Shippo Index - オリジナルキャラ創作