長いようで短い抱擁を終えた夫婦は、ゆっくりと互いの身体を離した。
それを見たユキは、静かに瑞穂へ歩み寄った。
「……瑞穂さん、そろそろ……」
「はい、メガミさま」
かすかににじんだ涙を指でぬぐい、またさっきまでの笑顔に戻った瑞穂はもう一度みさきの肩に手をかけた。
「あいつのこと、これからもよろしくね、みさきちゃん。あたしの分まで」
「……はい、奥さま、必ず。この身に変えてもご主人さまはお守りします」
みさきの心からの宣言に、彼女の髪をやさしく梳くように撫で、瑞穂は夫にももう一度笑顔を向ける。
「あんたはみさきちゃんのこと大切にするのよ。あたしの分まで」
「ああ、わかった」
やわらかさの中にもみさきに劣らぬ真摯な想いを声に乗せ、清水もうなずく。
それを見て安心したようにうなずき返した瑞穂は、ゆっくりとメガミの隣りに立った。
「それでは行きましょうか、瑞穂さん」
「はい」
「元気でな、瑞穂」
「奥さま……」
瑞穂を見送るために彼女の近くへ歩み寄り、期せずして並んで立つみさきと清水も別れの言葉と想いを告げる。
「うん、ありがとう。二人とも次に再会するのはなるべくゆっくりにしてよね。すぐ来ちゃだめよ」
笑って手を振る瑞穂の身体が、メガミに連れられ宙に浮かんでゆく。
それを追うように二、三歩進んだ二人は見上げながら手を振る。
「さよなら、またな、瑞穂」
「奥さま! 本当にありがとうございました! またきっとお会いしましょう!」
「うん、楽しみにしてるね! 二人とも、元気でね!」
手を振りながら天に還ってゆく瑞穂の身体はだんだんと小さくなり、ついに雲間に消えた。
しばらく瑞穂たちが消えた雲を見上げていたみさきは、ふいに大切なことを思い出した。
「…………そうだ、ゴウさま!」
あわてて周囲を見回すと、ゴウが墓地の階段を降り、歩み去ってゆくのが見える。
「ゴウさま!」
急いで呼び止めるみさきに、振り向いたゴウはやさしげな笑顔を見せた。
「幸せになれ、みさき。それが聖獣としてのおれからの命令だ」
「は、はい! ゴウさま、本当にありがとうございました!」
「礼には及ばん。一飯の恩を返しただけなのだからな」
ゴウの笑顔と言に極まったように、涙がみさきの瞳にあふれる。
「ありがとうございました」
そのみさきの肩を抱くようにやさしく手を乗せ、清水も礼を言う。
その清水に対しては、ゴウはべつのことを命令した。
「お前はさっきの自分の言、守れよ」
笑ってそう言うと、二人に背を見せ、ゴウは今度こそ本当に歩み去った。
さきほどまでの夢のような世界が消え、いつの間にか暑熱も戻ってきた墓地で、二人はしばらくたたずんでいた。
と、涙ぐんでいたみさきがようやく落ち着きを取り戻し、ふと清水に尋ねた。
「ご主人さま、いまゴウさまがおっしゃってたことって、なんですか?」
「ん? ああ、『さっきの言』っていうやつか」
みさきの肩を抱いたまま、笑顔で清水は答える。
「はい、それです」
「でもお前、おれとあの人との会話は聞いてたんじゃないのか? その中にあったんだけど…」
「そ、その、あれってじつは、あんまり頭に入ってなくて……」
最初の「ご主人さまに好きな女の人がいる」「それは自分」の段階で、ほとんど彼女の思考は止まっていた。
だから清水が瑞穂のことで負い目を持っているという話は、
だいたいの内容は理解できたのだが、こまかいところはほとんど憶えていない。
「なるほど、そうだったのか」
「はい…… それでなんなんです、ご主人さま?」
笑う清水を、自分も恥ずかしげに笑いながらみさきは見上げ、
彼は、笑みを残しながらも真剣な表情でゴウの命令に服した。
「結婚してくれ、みさき」
「……………え!?」
清水の言葉が頭と心に届くまで三拍ほど置いて、みさきは「ぼん」と顔中を赤らめた。
「さっきの言っていうのはね、瑞穂が許してくれたなら、その場でみさきをしっかり受け止めるっていうことなんだ。だから……」
同じ表情のまま、赤面して固まるみさきに向きなおり、
さっきの瑞穂のように彼女の両肩に両手を乗せ、見下ろしながら、
清水はもう一度、彼にとって人生で二度目の求婚をくりかえした。
「結婚してくれないか、みさき。おれはお前の知ってるとおりの男だけど、それでもよかったら、いつまでも一緒にいてほしい」
「……………………」
「………だめか?」
一足どころか三足飛びくらいでのプロポーズだということは清水にもわかっているのだが、
守護天使は意外なほど結婚というものにこだわるところがあることを彼は知っている。
だからこそ一気に踏み切ったのだが、あまりにもみさきが黙っているので、さすがに清水も不安になり、そう質(ただ)した。
それにハッとしたみさきは、いままでこれほどあわてたことはないというほどにあわてて口を開く。
「ち、ち、ち、違います! そ、その、あんまり、その、すごく、その、びっくりして、その、う、うれしくて、だ、だから、その、言葉が、で、出てこなく、て、だ、だ、だ、だから、だから、だから!」
顔だけでなく体中を真っ赤にして、どもりながら気持ちを並べ立てるみさきに、清水はほっと笑って彼女を抱きしめた。
「あ……………」
体内の機能がすべて暴走してるような想いを味わっていたみさきの身体が、急速に弛緩する。
ゆるみすぎて膝から力が抜けて座り込みそうになり、あわててみさきも清水に抱きつく。
「あ………」
もちろんそれもはじめての行為で、みさきはまた赤面し、不安げに清水の胸から彼の顔を見上げる。
そこには、いままでみさきが見たこともないほど、あたたかでやさしげなご主人さまの顔があった。
「ご主人……さま……」
「それじゃ結婚してくれるね、みさき……」
「はい………はい………ご主人さま……喜んで………」
あまりの幸福に半ば放心していたみさきは、
ほとんど無意識に発した自分の言葉が耳に届いたことで、はじめてすべてを実感した。
そしてそのことにみるみる涙を浮かべると、
清水の胸に顔をうずめ、強く抱きつき、彼の腕の中で大きな声を放って泣き始めた。
盛夏の山に響くその泣き声は、山中のすべての動物の心にあたたかく響き、
一人の守護天使の幸福をいつまでも祝福しつづけた……
おわり