思想の最近のブログ記事

参院選、大方の予想通りの結果となりましたね。

民主党がかつてないほどの完敗となりましたが、この理由は明らかです。
1.アベノミクスに対抗しえる、党としての明確なビジョンを示せなかった。
2.党内意見をまとめられず、ビジョンどころか各問題の方針すら言明を避けた部分があった。
3.以前の政権運営失敗によるマイナスイメージの継続

2については、完全に海江田代表をはじめとした方々の手腕不足でしょうが、
一番の問題は1です。
そしてこの1の問題は民主党のみならず、他の野党すべてに言えたことでした。

各党、街頭演説はもろもろ、「安倍政権の暴走を許してはならない」とか「アベノミクスは富裕層を優遇するだけで(以下略」
という、オリジナリティのないていたらくという印象がぬぐえません。

本当の仕掛け人が安倍首相本人なのか他の誰かなのかは知りませんが、「アベノミクス」というネーミング、社会現象化のすさまじさは見事なものです。

あまりにその名前が社会現象化してしまったので、どの党も「アベノミクス」を引用せざるをえない状況に追い込まれ、独自のビジョン・ソリューションの主張どころではありませんでした。

いわば、アベノミクスの存在感の大きさに、各党が「構図負け」したと言えるでしょう。

アベノミクスに過大な期待をしている有権者はわりと少ないような気がします(期待半分、不安半分といったところでしょう)が、少なくとも、何もビジョンを持っていない他の党より、ビジョンを持っている自民党の方がずっとマシ、という判断だったのではないかと思います。
(もちろん、「ねじれ」はもうゴメンだ。という意図もあったと思いますが)

しかし、やはり政策に名前をつけることは大事ですね。名前重要です。どんな現象も名前がつくことで、皆が意識を向けることができるし、議論の対象にすることができます。
なにより、人の記憶に残ります。

他の党も、対抗するなら、

「アベノミクスでは間に合わない! これからは○○ビジョン!」

みたいにやればいいのです。

ネット選挙も解禁となりましたが、こうした『わかりやすさ・意識しやすさ』を考えた広報戦略はますます重要になってくるのではないかと思います。

わざわざこのブログで取り上げることもないと思っていましたが。

いや、しかしれっきとした政党の代表者がこんな発言をする、という事態の大きさは無視できないと思います。

橋下氏の発言要旨
大阪市長・橋下徹氏ぶらさがり取材全文文字起こし

私は特に女性権利とか女性問題について意識が高いわけではないですが、この発言はダメでしょう。どっからみても終わってます。

仮に、100歩譲って、こうしたもので兵士たちに対してある程度の効果があったとしても、女性にしてみれば、こうした「仕事」(?)に好きこのんでなった人はいないはずじゃないか。
お金のためにしかたなく、という人がほとんどでしょう(そうした女性たちの置かれた経済状況じたいがむしろ問題だと思います)。

女性の立場を完全に無視した考えで、反発食らうのは当たり前です。

しかし、もしこうした慰安婦のようなものが世界的・歴史的に必要悪として使われていたというのが事実だとすると、男というのは本当に困った生き物なのだな。と思います。(という私も男性なのであんまり説得力ないのかも(汗))

いずれにしても、今回の発言で、すでにヤバい状態だった維新の会もいよいよ終わりですね。元々なんか勘違い言動が多かった石原氏(自分の言動に責任持たないし、「右」ならなんでもいいってわけじゃない)が居た時点で私は支持していませんでしたが、もーほんとどうでもいいです。

参院選、民主も反省会は大失敗だったようだし、株価高騰でアベノミクス礼賛状態の自民がやはり大勝でしょうか。アベノミクス、私はあれ実はヤバいと思ってるんですけどね。


追記1:石原氏も擁護したらしい。おいおい。両名ともこんなんじゃホントに維新ダメだぞ。まぁ彼らしいけど。

追記2:知人から、「橋下氏のツイッター見ると、彼の本音がよくわかるよ」といわれたので、見てみたけど……。もうね。突っ込みどころがありすぎて呆れる。見たい人だけどうぞ。こんな人、絶対支持するつもりはありません。いや、感情的になっているわけではなく、現実的に考えてこの人じゃ無理だと思う。

追記3(2013/05/15 - 1:16):
橋下氏がまたツイッターの更新を始めた。内容が徐々に釈明に変わってきているが、もはや内容の問題じゃない。ここまで事が大きくなっておきながら、未だ誰のチェックも通さずに、未だにスイスイと持論を放言する方が怖い。それを野放しにしている維新の会も大丈夫か? ここは殴ってでも止めろ。これ以上は日本にとって恥でしかない(泣)

追記4(2013/05/15 - 22:15):
我慢できなくなって、ついに橋下氏にレスってしまった。私も大人げないですね。
いい加減、お前も物好きだなとか言われそうであれなんですが、もう少しお付き合いを。
「リスク管理能力の無さを露呈するだけだから、もう軽はずみなツイートはやめろ」という趣旨を本人に訴えてみたんですが、しばらく静かになったと思ったら(まさか、私の言葉が届いた訳じゃないでしょうが)、またツイートを始めました。
一連の発言の流れを観ていた人は、どんどん発言内容が軌道修正されていることに気が付かれたかと思います。現在のツイート内容は、一見もっともそうな意見に聞こえ、さすがに当初のようなトンデモ発言ではなくなってきました。が、すでにここまでの事態になった以上、「橋下氏が発言している」というだけで信頼性がなくなっています。国外はもちろんのこと、国内の人々にもその声はもはや届かないと思います。
残念な事ですが、世の中、「何を言ったか」よりも「誰が言ったか」の方が重要とされる時があり、まさに今がそういう時なんでしょう。
また、維新の会のツイッターアカウントは、この問題について事実上だんまりを続けており、また松井幹事長は未だに「誤解があったとしたら残念」などと言っている始末。そして、橋下氏のツイッター持論展開にストップをかけよういう動きは未だ見られないようです。
これは、もはや橋下氏、石原氏、松井氏というキーマンたち自体に大きな問題があるというだけでなく、維新の会自体に危機管理能力と自浄作用が殆どないことを意味しています。
私も、人は憎みたくありません。悪口も言いたくありません。ですが、日本維新の会は本タイトルにもある通り、もう二度と浮上することはできないのではないかと思います。
私も、ここまでツイートに付き合っていて、色々な意味で気力を消耗し、げんなりました。
しばらく、体と心を休めたいと思います。

GPUの演算能力により、宝飾用ダイヤモンドの生産量が増えたというお話。
http://news.mynavi.jp/articles/2013/04/02/gtc2013_diamond/index.html

NVIDIAのバイアスがかかっていると思われるので、GPUの恩恵が生産量に「実際に」どれくらい寄与したのかはわかりませんが、仮に宝飾用のダイヤモンドの流通が増えるということは、今後、投資先としてのダイヤモンドの有効性というのはますます下がるような気がします。

もともと、ダイヤモンドは
・価格の基準が統一的でない。
・カットの品質や傷の有無などによって価値が大きく上下する
・流通量が意図的に抑えられており、その均衡が破れれば大きく値下がりする可能性がある。
・人工ダイヤモンド製造の技術の進歩によって、宝飾として使えるくらいの大型のダイヤモンドが製造可能になれば、やはり値下がりする。

などを考えると、やはり投資先としてはあまり有望でない気がします。ダイヤモンドを後生大事に取ってある人は、今が売り時かもしれません。

世界的に各国の国債の信用が下がってきている現在です。
比較的安心といわれる国債のリスクが上がってきているということは、ある意味金融市場全体のリスクが上がってきているということでもあります。

また、今後日本は国債破綻するとか、そうならないまでも、相当のインフレになるという予測をする人も増えています。

金やプラチナなどの「実物資産」の価格は、過去の記録からすると、すでにかつて無いほど値上がりしていますが、まだまだ上がるかもしれません。

ちなみに、2000年頃の金の価格は、今の4分の1程度でした。
(今は1kgで大体500万円前後を推移しています)

あの頃、このような状況を予想して株を全部売り払って金に投資した人が少なからずいたといいます。

そのような先見の明を持ちたいものですが、なかなか難しいものですね。

ちなみに、私も少し前に大半の現金預金を引き出して、あるものに投資しています。もう少し早く行動していれば……と思いますが、将来の円リスクを考えれば、悪くない決断だと思ってはいます。

あれ? なんかGPUとかまったく関係ない話になってしまったww

今揉めているオスプレイ問題についてちょっと私の考えをば。

今回の、低空飛行訓練のルートが急遽変更された、この在日米軍及び防衛省の対応のまずさについては、
私も否定するつもりはありませんので、それを踏まえた上でちょっと言わせてください。

今まで見ていると、どうもマスコミも各県庁も国民の皆さんも、オスプレイを特別視しすぎている気がします。

リスクというものは、一部だけにこだわるのではなく、総合的に判断しなければ現実的な安全策は取れません。

たとえば、航空自衛隊百里基地からはF15-Jやら在日アメリカ空軍機がしょっちゅう上空を飛び回っているわけです。

仮に、オスプレイの事故率がF15-Jの2倍あったとしましょう。仮にですよ。
(私は軍事に精通しているわけではないですし、ティルトローター式垂直離着陸機とジェット戦闘機の単純な比較が難しいことは承知の上です)

しかし、仮にF15がオスプレイの3倍以上の物量で訓練を行っていた場合は、F15の訓練の方が危険なわけです。

そういうことを考えると、「オスプレイはウチの上空を飛んでもいいけど、これからはF15はウチの上空を飛ばないようにしてね」という交渉もありえるわけです。
(現実的に妥当かは別にして)

しかしながら、マスコミも県庁も国民も、オスプレイだけが「とんでもなく危険だ。とにかくオスプレイやだわー!」と条件反射的に、それだけをリスクと捉えてしまっている節があります。

そうではなく、現状の航空自衛隊・在日米軍のすべての訓練の安全性を全体的に見渡した上で、総合的にリスクを判断すべきでしょう。

繰り返しますが、リスクというものは一部だけ見ていると、判断を見誤ります。

関係各位には、そうした俯瞰的な観点から、オスプレイ問題を見直して欲しいと思います。

たぶん、物議をかもすと思うので、あまり書きたくないんだけど、どうしても気持ちが収まらないので、今世の中を騒がせている「ある事」について、自分の考えを述べます。

「体罰」についてです。

ご存じの通り、我が国では教育界やスポーツ界において、大変な問題となっています。
ただ、世の中の反応(特にマスコミや教育者)で、「体罰」というもの自体に対して、やや過剰な反応を示しているようにも見受けられます。
例えどんな場合や理由があろうと、「体罰」という存在はそのものが絶対にあってはならない。とんでもない! というものです。

私は、これは時と場合によると思っています。

もちろん、今教育界やスポーツ界で行われてしまった「体罰」の殆どは、する必要が無く、どのような意味でも逆効果で、被害者の心身を痛く傷つけた、酷い行いです。
そこは、もちろん否定するつもりはないです。

ただ、「体罰」はどのような場合でも行ってはいけないのでしょうか?

 TBSテレビ放送50周年~戦後60年特別企画~『“ヒロシマ”…あの時、原爆投下は止められた…いま、明らかになる悲劇の真実』という3時間編成の番組を見ました。子供でも見られるゴールデンタイムに流したこの心意気。

 原爆投下を中止するチャンスが、日米双方に何度かあった、という主張については……確かに後付論だと言えばそうなのですが、私としても色々と得るものはあったかなぁと。原爆に関わった科学者達は後に投下を阻止すべく多くが反対派に回り、トルーマン大統領も当初は聞く耳を持っていた、と。しかしいつの時代も強硬派は居るわけで、当時の彼らの日本人に対する感覚は所詮「イエロー」でしかない。もちろん原爆が実際に炸裂した後の後遺症なども当時はまだ知る由も無かったとはいえ、理性や机上の感覚で決めるにはあまりに重たすぎる……。

 さらに印象的だったのは、原爆の開発、投下、撮影の三つに携わった科学者と被爆者との対話。かつて間近に炸裂した原爆を撮影し、番組で始めて当時の悲惨さについて記念館で説明を受けた彼ですが、最後まで「謝罪はしない」と言い通しました。
 被災者の方々はやり切れぬ表情を見せていましたが、市民のレベルと国を背負ったレベルでの対話では相互理解に限界が出てくるのはやむを得ない事でもあります。

 「こういう言葉がある。『真珠湾を忘れるな』」
 「銃弾で死のうが、爆弾で死のうが、原爆で死のうが、死ぬ事に変わりは無い。恐ろしい事だ」
 「私も真珠湾で友を失った。私も貴方も、今生きているだけでも幸せだ」

 もちろん、言葉に欺瞞が無いわけではない。相手と違い、後遺症を実際に味わった訳ではない。しかし、完全な欺瞞でもなく、本音でもあったのでしょう。原爆で殺すのが罪で、通常戦力で殺すのが罪でないという事にもならない、それも確かです。ただ、それは核の威力を知識として知り尽くしているがために、逆に麻痺してしまった感覚なのでもなかろうか……。
 今でもアメリカに住む多くの人たちは原爆の正当性と真珠湾攻撃の被害者スタンスを信じています。当然、これは本当に正しいかどうかではなく、自分達の過去の意義を賭けた戦いでもありますから、ある種生存のための防御本能に近い。

 私はどちらかと言えばこの番組のように「原爆投下必要なかった派」ですが、何れの判断するにせよ、その判断の前にこういった過去の情報は我々日本人、知る機会を持つべきだと思います(「べき」って言葉あんま使いたくないんですが)。

 少なくとも、自発的に調べずに「それも仕方なかったんじゃないかな」となんとなく容認しないこと。原爆の件に限らず、多くの人がそのようななげやりなスタンスに陥る事は、長期的に見ればとても危険な事なんじゃないかなぁと思います。

ロシア人を傭兵として雇用すれば、日本の外交上の安全は高まる?(nikkei.bp)

 面白い記事があったのでリンク。
 イラク駐屯の自衛隊員が一人につき一日10万円の危険地手当を受け取っているとは私も初耳。たしかにイラク駐屯も戦っていないとはいえ、物の雑誌からの知識しかありませんが、地域部族との調整は大変らしく、相当苦労されているとは思います。しかしロシア兵100ドルと比べると、確かにねー。
 日本の財政赤字の惨状さはなにより政府がよく分かっていると思うのですが、この10万はいいとして、どうしてこう事ある毎に海外に援助金バラまけるのかと。
 あまりに赤字額が膨大だと、感覚が麻痺するのかもしれません。

 この記事の意見が実際にうまく行くかはともかく、やはり日本も金だけで解決を図るのでなく、将来的に日本の立場を有利にできる妙案を打ち出してみましょうよ。
 今後アメリカの国際社会への影響力が低下し続ける事は恐らく間違いないのだし、他の国との関係も強化しないとね。

 8月6日はとうに過ぎましたが…。先週からちょっと書きたかった事なので、書いてみたいと思います。

 8月6日は言わずと知れた「広島に原爆が落とされた日」ですが、その前後日に友達数人との会話に、何気なくその原爆の話が入ってきたんですね。

 「酷い話だよね…」という声も普通に出てきたのですが、一方「まぁそれだけのインパクトがないと当時の日本軍もこりなかったんだろうけど」とか、いやまぁそんな何気ない意見も出てきた訳です。

 実を言えば、日本軍が原爆を投下される前にすでにアメリカに停戦を打診していたという話はちょいと調べればわりかし有名な話で、まぁそれを信じる信じないにしても、そういった当時の出来事を調べる機会を持ち合わせて居なければ、上述のようなポワンとした考えが浮かんでくるのもある程度仕方ない事かもしれません。

 しかし……たとえそういった知識や調べる機会が無かったとしても、原爆投下やそれに順ずる惨劇・理不尽な出来事に対して、「まぁ…それなりに仕方ない理由があったんじゃない?」と何の疑問も持たずに納得してしまっていいのでしょうか?

 原爆によって命を奪われた日本人の数は軽く10万人を超えると言われています。59年前の出来事とはいえ、同じ民族をそれだけ殺された惨劇に対し……いえ、別に原爆とは別の話だっていいんです。こういう重要な出来事に対して、その後公に敷かれた『既成事実』について何の疑いも持たずに、それを受け入れてしまうということ……これって、考えてみればとても恐ろしく、危険な姿勢ではないでしょうか。
 将来再び、そのような状況が迫り来る時に、それで対応できますか? 果たして予防できるでしょうか?

 もちろん、誰もが誰も全員、こういった出来事について調べろ! というのも無理な話だと思います。いいんです、それは。事の問題はそこじゃありません。問題なのは調べない事よりも、そういった重要な出来事についての『既成事実』を何の疑いもなく受け入れてしまう。その姿勢なのです。

 サッカー中継を見る。なんか中国のサポーターが騒いでる。「礼儀を知らない人達がいるんだなぁ」「でも日本も昔酷いことしたんでしょ?」「でも謝罪と賠償はすでに済んでいるんだよ?」「でも、罪は消えないよ! 日本はあれだけ酷いことしたのに!」
 あれだけって、どれだけでしょう? 教科書に書いてある事でしょうか? 日本の教科書、中国の教科書、他の国の教科書。内容の程度がかなり違うんですけどね。
 程度の問題ではない? お気持ちは痛いほどわかるんですが、これって凄い込み入った複雑な話なのです。

 ……いいや、この話いくと論点はずれそうなので戻りますが…。

 ええと…私の伝えたい事。分かるでしょうか? 今、世界を覆っている既成事実というものは、まるで嘘、とまでは言いませんが……政治的意図によってかなり人為的に作られています。
昔の重大な出来事に対して全て自分で調べろ! とは言いません(もちろん、調べる事で色々見えてくるのでお勧めしたいんですが…)。あまり興味の無い人、重要なのは過去ではなく未来だ、というポリシーの人、そもそも忙しくてそんな時間取れないよ、という人。その人その人の事情もあるし、それはそれでかまわないのです。
 ただし、すでにある『既成事実』に対して全く何の疑いを持たずにそれを受け入れてしまう、という姿勢は……できれば改めていただきたい…。何故なら、それを受け入れてしまうということは、その人為的な『既成事実』を貴方の受諾によってさらに強固な物にしてしまう事に手を貸す事を意味するからです。

 人間って何かにつけてとりあえず『納得』しないと落ち着かない生き物ではありますが、世の中って色々あって、色々な人がいろいろな事をやって、色々な思惑がせめぎあっているのです。よく分からなくてもいいですから、何も考えず受け入れる前に、『とりあえず保留』というスタンスを取る事もぜひ知っていただきたい…。

 世界の事実って、一人ひとりの認識によって作られるのですから…。


 と、ちょいと関連してるようであまりしていないような話ですが、先日のパウエル国務長官の『憲法9条を見直せ』発言、田中さんはこんな分析を立ててます。マジで? へぇ~……。じゃあ早く自立してくださいね日本。

 自分の国の領土に落ちたヘリの捜査もできないんじゃねぇ…。

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうち思想カテゴリに属しているものが含まれています。

前のカテゴリは安全対策です。

次のカテゴリは気になったニュースです。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。