たぶん、物議をかもすと思うので、あまり書きたくないんだけど、どうしても気持ちが収まらないので、今世の中を騒がせている「ある事」について、自分の考えを述べます。
「体罰」についてです。
ご存じの通り、我が国では教育界やスポーツ界において、大変な問題となっています。
ただ、世の中の反応(特にマスコミや教育者)で、「体罰」というもの自体に対して、やや過剰な反応を示しているようにも見受けられます。
例えどんな場合や理由があろうと、「体罰」という存在はそのものが絶対にあってはならない。とんでもない! というものです。
私は、これは時と場合によると思っています。
もちろん、今教育界やスポーツ界で行われてしまった「体罰」の殆どは、する必要が無く、どのような意味でも逆効果で、被害者の心身を痛く傷つけた、酷い行いです。
そこは、もちろん否定するつもりはないです。
ただ、「体罰」はどのような場合でも行ってはいけないのでしょうか?
世の中には、
・確信犯的に、平気で教師や同級生の尊厳を傷つけることを愉しんでいるような悪質な若者
・金に困って、軍隊に入るしか選択肢の無かった、盗みや暴行などをやらかしてしまうモラルの低い兵士
など、どう考えても性根が曲がったような人たちがいます。
そういう人たちに対しても、「辛抱強く対話をすればきっと分かってくれる」と信じられるほど、私は理想家ではありません。信じている人がいるとすれば、それは現実の厳しさを分かっていないか、よほどの理想論者か、現実を分かっていてなおそう言うような偽善者だと思います。
そういう性根の曲がった人たちをそのまま放置すると、そういう人たちは必ず他者を加害します。それを止めるためには、多少手荒でも「強いショックを与えて、性根をたたき直す」必要があります。まさに「必要悪」です。
すべからく「体罰」ということにアレルギー反応を示す方には、こうした状況が時にはあることも知って欲しいと思います。そういう人には、「優しい声をかけるだけでそいつらを止められなくて、もしそいつが他者を加害したら、あなたはその被害者を未然に助けられなかった責任を取れるのか?」と聞きたいです。
もちろん、今回のスポーツ界における「体罰」などは、この必要悪には
全く当てはまらないですね。それは承知しています。
プロのスポーツ選手で、先に挙げたような他者を加害するような性根が曲がったような人はまずいないでしょうから。
ただ、どう考えても人として間違った行いをするような生徒、兵士(あくまで例です)などに対しては、組織において、「体罰」を必要悪と見なして実施することも、時には必要ではないかと思います。
もちろん、その必要悪の体罰が、必要以上にエスカレートしないか、という点に対しては、厳しくチェックする必要があると思います。それに、体罰はできるだけ必要最小限にし、いざというときにきちんとセーブできるのか、という問題は、どうしても属人的になりがちですし、組織として管理しきれるのか、という現実的な問題はあると思います。
難しい問題です。
ただ「体罰なんてこの世からすべからくなくすべきだ」という反応については、ちょっともう少し世の中を見渡して、もっと現実的に捉える側面を持って欲しいと思っています。
ちょっと、乱文・長文になりましたが、お許しください。
うーん、なんか……どういう反応が来るか恐いんですが^^;
でも思い切って、投稿ボタンを押します。
体罰は「罪」に対する「罰」です。従って罪なき暴力は体罰ではありません。
今回の事件における問題の焦点は、単なる暴力やパワーハラスメントを正当化、及び免罪符に体罰の名目が利用されてきた慣習についてのことだと思います。教師の暴行は「体罰」、チンピラによる集団暴行は「じゃれあい」、名前を変えるだけで傷害罪などに当たる犯罪行為が不問とされてきたのです。
また体罰で恐怖を与える教育方針は、あまり良い方針だとはいえません。
殴られるから盗まないでは、上手くばれないように盗む人間になります。
性根をたたき直すという発想もまた理想論のひとつに過ぎないのです。
複雑な問題に対して、ひとつの単純明快な答えを出すことの危険性については同意します。